「何か食わせろ、クソコック」
ギィ、とラウンジの扉が開き、緑色の頭がひょいと入ってきた。
「今日はもう店じまいです。明日のご来店を心よりお待ちしておりますクソマリモさま」
振り向きもせずにその気配を感じ取り、この船のコックはすげなく返す。
時刻は午前1時。見張りである自分以外のクルーはとっくに寝静まっている時間だ。
大方昼間に寝すぎて目が冴えているのだろう。
コックさんの朝は早いんだから、起きてるなら見張りを代われと文句のひとつも言いたくなる。
頃合になじんだサンドウィッチを取り出し、ナイフを入れて半分に切っていると、鈍いブーツの音が近づいてのそりと肩越しに覗いてきた。
跳ね上がる心拍を押さえるように毒づいた。
「これはおれの夜食だ。物欲しそうな目で見んな」
「・・・端っこばっかじゃねェか」
見た目は何の変哲もないシンプルなサンドウィッチだが、よくよく見るといつもクルーが食べているそれとは違う。
パンは端っこ、中に挟んであるベーコンも茶色の部分が多く、ピンクの部分は少ない。
チーズに至っては、端の方が乾燥して色が変わっていた。
「野菜を食え!」といつも煩いコックは、夜食を含めた普段の食事に野菜を欠かさないが、これには葉っぱの1枚も入っていなかった。
「味に変わりはねェよ。おれが食うんだから問題ねェ」
剣士は小さく舌打ちをした。
そもそもクルーの食事中は、コックは給仕に勤しんでいて食事を摂らない。
本人は作りながら食べているというが、それだってきっと切れ端とかクルーには出せないと判断したものばかりだろう。
戦闘でも船上の生活でも、このコックはいつも自分を後回しにしてクルーのために働く。
常に前を見ている剣士からすると、それがもどかしく、時に苛つくこともあるのだ。
コックはそんな剣士の気配を気にする風でもなく、既にジンジャーティーのポットが入っているバスケットにそれを入れ、蓋を閉じた。
「酒、飲むなら棚の真ん中の段。左から2本目なら飲んでもいい。それ以外に手ェつけたらオロすぞ」
バタン、とドアが閉まり静寂に包まれたラウンジで、ゾロはしばらく考え、指定された棚の酒を手に取るとラウンジの明かりを消して見張り台へと向かった。
夜食を手に取り口に運ぼうとしたとき、ギシ、ギシ、と縄梯子を登る音が聞こえ、サンジはため息をついた。
ぬ、と再び見えた緑頭に、隠すことなく再びため息をついた。
「寝ないんなら見張りを代われ。寝腐れ剣士と違ってコックさんは朝が早ェんだ」
ゾロはそれに答えず、はしごを登りきり見張り台へ入り込んだ。
サンジの横へ座り、 壁にもたれて持ってきた酒を煽る。
その穏やかな瞳の色に、サンジは何も言えず目を逸らした。
「お試し」でゾロとセックスをしてから、サンジはゾロと2人になることを避けていた。
好き「かも」知れないと言われ、後ろから犯され、おれのだ、と熱く劣情をぶつけられ、全力で口説く、と不敵に宣言され、サンジの頭はぐちゃぐちゃだった。
あの後風呂に駆け込んだが、男どころか女だって知らないサンジに事後の処理なんて分かるはずもなく、翌日の引き攣れた痛みと下肢を伝った残滓に、アレは夢じゃなかったんだとまざまざと思い知らされた。
頑丈な身体はクルーに異変を悟られない程度には耐え切れたが、しばらくは痛みと怯えがサンジを支配した。
ゾロはあれから一度も触れてこようとはしない。
いつも通りくだらないことでケンカをしたりはするが、2人になってもごく普通のことをぽつりぽつりと話し、今みたいに傍らで静かに酒を飲んでいる。
からかわれたんじゃないだろうかとも思ったが、時折流すように送られる視線はしっとりと熱を帯び、意識せざるを得なかった。
その態度と視線のギャップに耐え切れなくなり距離を置いていたのに、なぜ不寝番という今日に限ってこんな・・・。
ウダウダと考えるなんて女々しい、いや、思慮深いレディは素敵だからいいんだ、と思考を振り切り、サンジは手にしたままのサンドウィッチを口に運んだ。
サンジの夜食はクルーに出すそれとは全く違う、その時のあり合わせで作る簡単なものだ。
最高の部位を使わない食事は確かに味は少し落ちるかもしれないが、自分が食べるのだから別に構わない。
ましてやそれをクソマリモに干渉される筋合いなんてない。
もそもそと食べながらそんなことを考え食べていて、ふっと緊張が解けた。
最後の一口を持ったその手を静かに掴まれ、優しく引き寄せられたのはそのときだった。
「・・・っ!!」
そのまま手はゾロの口元へ運ばれ、サンドウィッチはゾロの口へと消えた。
ゆっくりと咀嚼する音が聞こえ、甘い低音が響く。
「・・・てめェの作るもんだ。まずくはねェが・・・普段おれたちが食べてるのと比べると味気がねェ」
サンジの腕は掴まれたままだ。
「料理は愛情、だろ」
責めるでもない、からかうわけでもない、淡々とした言葉が耳に響く。
「てめェのメシに愛情かけてどうすんだよ」
手は離れない。
「・・・離せよ」
かぷりとサンジの親指を食み、わずかに付いたソースを舐め取る。
「・・・おれが怖いか?」
「だ、誰が・・・・」
静寂が2人を包み込む。
どれぐらいそうしていだろうか。
「こないだは」
つと手首を握っていたゾロの手が動き、手のひらをきゅぅと握った。
「・・・悪かった。怖がらせた」
じん、と心に染み渡るような詫びに、サンジの心臓が跳ね上がる。
剣ダコがあるごつごつした指が、サンジの指の1本1本を愛撫するかのように動く。
は・・・と、吐息が漏れる。
「なぜ、拒まなかった」
問いかけは続く。
「本気になれば逃げられた筈だ」
「・・・離せっつってんだろ」
問いかけには、答えない。
要求には、応じない。
噛み合っていない2人の行動が絡み合う。
先に仕掛けたのはゾロだった。
サンジの手を掴んだまま、ダン、といささか乱暴に押し倒した。
「言ったはずだ。おれは全力でてめェを口説くと」
お互いに視線を逸らさず睨み合う。
「てめェは飯ひとつ取っても自分のことをないがしろにしすぎだ。何がラブコックだ。てめェ1人も大事に出来ねェやつが、どうやってクルーを守れる」
先ほどまで穏やかだったゾロの瞳に、ギラリと本来の剣士の炎が灯される。
「それがおれのポリシーだ。てめェにとやかく言われる筋合いはねェ」
負けじとサンジも言い返す。
「てめェのそのポリシーとやらで、てめェが死んだときの残された奴の気持ちを考えたことはあるか?」
例えばルフィがてめェをかばって死んだとしたら、てめェはてめェを許せるのか?
サンジの瞳に動揺が走る。
「・・・おれたちは海賊だ。明日をも知れないこの身でそんなウェットなことを考えてたら、海賊なんてやってられねェよ」
「そうだな。でもてめェは一生それを背負っていくんだろ」
養父の足を奪ったことを、今でも悔やんでいるように。
嵐の夜には、一晩中休むことなくキッチンに籠もって動き回り、その夜を耐え忍ぶように。
「てめェ・・・おれを口説くんじゃねェのかよ」
核心を逸らすかのようにぽつんと呟いた金髪を、指先でつまむ。
「ああ。まだ終わってねェ」
片手と両足でサンジを押さえつけ、静かに囁いた。
―――てめェがてめェに情を注がない分、おれが注いでやる。おれのモンになれ。
言葉が耳に入り、頭がそれを理解した途端、サンジはぶわっと身体が高揚するのを感じた。
顔は真っ赤だろう。かたかたと震えが止まらない。
このマリモ頭は、何でこんなにも恥ずかしいことをさらっと言うのか。
やっぱりこいつは頭がおかしい。
理解できない。
「1度目は気の迷いとでも何とでも言える。だが2回目はそんな誤魔化しはきかねェ。イヤなら全力で拒め。そうじゃないなら・・・てめェも腹ァ括れ」
高圧的な言葉とは裏腹に、腕を掴む手には力が込められていない。
上に載っている身体も、両脇にある足も、ただそこにあるだけだ。
今蹴り上げたら、いくら頑丈なゾロとはいえどひとたまりもなく見張り台を破壊して落ちていくだろう。
しかしサンジにはそれが出来なかった。
なぜ拒まなかったかって?
拒む理由がないからだ。
あの無愛想で、顔を合わせればケンカばかりふっかけあうマリモ剣士が、自分に惚れているかもしれないと言ってきた時の興奮は、どんな言葉でも表現出来ない。
仲間の、よりにもよって男の、自分とは正反対の生き方に、すべてに惚れてしまうなんてと、どれほど悩んで諦めようとしたかゾロは知らない。
答えが出せないんじゃない。
答えはすでに出ていたのだ。
それを一生懸命押し殺していた。なかったことにしようとしていた。
なのに、暫定とはいえゾロの気持ちを知っても、それを素直に受け取るにはサンジの性格が災いし、あんな挑発的な態度を取ってしまった。
まっさらな身体は耐え切れず悲鳴を上げ、傷を残した。
同じ向きを向いているのに、噛み合わない。
まるで先ほどの自分たちの会話のように。
おれのモンになれ、と剣士は言った。
世界最強しか見てこなかったこの男が。
このおれを、欲しがった。
どうして拒めようか。
「―――怖いか、っつったよな。ただのマリモを誰が怖がるかってんだ。 おれの心が欲しけりゃ、てめェの全てをよこせ。それでイーブンだ」 その瞳に迷いはなかった。 「・・・上等だ。くれてやる。全部てめェのもんだ」 ニィと、人の悪い笑みを浮かべ、剣士はゆっくりと唇を重ねた。 (2013.2.10~20 pixiv/2013.4.26改稿)
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