「クソコック、水くれ」
鍛錬を終えてラウンジに入ってきた汗だらけの隻眼の剣士を一瞥し、サンジは冷蔵庫に手を掛けた。
「水じゃダメだっつってんだろーが。汗かいてんだからちゃんとミネラルを―」
「あー、分かったから何かくれ」
「聞けよクソマリモ」
取り出したピッチャーの中身は、塩分と糖分をバランスよく配合したゾロ専用の特製ドリンクだ。レモンの薄切りが目にも涼しい。大きめのジョッキに注ぎ手渡すと、ゾロはそれを一気に飲み干した。
「あァ……うめェ」
生き返ったと言わんばかりの溜息にサンジはクスリと笑い、ピッチャーをゾロに手渡した。
「あんま一気に飲むと水中毒になるから少しずつ飲め。んでとっとと寝やがれ。おれは風呂に入ってから見張りに……っ!?」
「……どうした?」
急に身体を硬直させたサンジをゾロが気遣う。
「い、や。何でもねェ。飲み終わったら、ちゃんとシンクに入れとけよ」
タバコに火を灯し、サンジはラウンジを後にした。
夏島の夏の男部屋なんて、むさくるしい以外の何物でもない。サンジはいびきと寝言が充満する部屋に足を踏み入れた。気配を消して、ゾロの様子を伺う。
(昼間あんだけ寝てるっつーのによく寝るマリモだな……)
しかし今の自分の状況を考えたら、これ以上ありがたいことはない。そろそろ身体の『限界』も近づいている。サンジは自分のスペースから小さいボトルを手に取ると、展望室へと向かった。
海賊稼業が言うセリフではないだろうが、今晩だけは何事もなく過ぎてほしい。海軍の特攻なんて特にゴメンだ。
荒い息を吐きながら鉄の床へと転がる。ひやりとした感触が身体の火照りをおさめてくれないかと期待したが、目論見は少々甘かったようだ。
(こいつは……やべェな)
吐く息が熱い。身体の底から湧き上がるような劣情に、サンジは舌打ちした。
原因は分かっている。昼間に上陸していた港町での海軍の偵察に行った時に吸ってしまった媚薬だ。世界中の人間に堅物と知られている煙の中将から拝借したタバコがあんな淫猥な効果をもたらすなど、誰が考えるだろうか。
不本意ながら中将の手で欲望を吐き出し、薬の効果は収まった。あれはただの事故だと割り切り、サニー号へ戻った。それがゾロの汗の匂いを嗅いだ途端、突然ぶり返したのだ。それも、明らかに先ほどよりも強い反応だ。『子どものおもちゃのようなモン』だと嘲笑した数時間前の自分を蹴り倒したい。
『足りない分は、剣豪に可愛がってもらえ』
煙の間から言われた言葉を思い出す。しかし、それはサンジのプライドが許さなかった。自分のミスでこうなったのだ。ゾロを巻き込むわけにはいかない。
「くそ……っ!」
理性があるうちに自分でどうにかしたい。一向に収まる気配のない熱さにサンジは観念し、ポケットに入れてきたボトルを取り出した。
窓の外は、凪いだ海と美しい月が絶妙なコントラストを描いている。麗しのレディの肩を抱いて甘い恋の駆け引きを楽しむには最高のシチュエーションだ。
しかし展望室には、真逆の淫靡な空気が漂っていた。
ベンチに手を置いた状態で床に膝立ちになっているサンジのボトムはずり落ち、股間には自身の手が伸びていた。やがてペニスを弄っていたばかりの手が後ろへと伸び、つぷり、と水音が響き指が埋め込まれる。
「……ぁう……ん、ん……ぅ」
声はなるべく抑えているが、どうしても鼻に抜けるような声が出てしまう。その甘ったるい声に舌打ちしながらも、止めることは出来なかった。自分で触れることなどほとんどないその場所へ、恐る恐るもう1本指を入れてみる。
「ひ……っ! ぅあ……っ」
その圧迫感と違和感に腰が引けるが、それよりも快感が勝った。ずぷりと指を奥まで突き入れる。中で指を開いて空間を作ると、入れたローションがぽたぽたと雫になって鉄の床を汚した。
足りない。
欲しい。
たまらなく欲しかった。
熱い肉棒で奥まで貫いて欲しい。
ぐちゃぐちゃにかき混ぜて、最奥に精液をぶちまけて欲しい。
こんな指だけでは全く足りないのだ。
ペニスは先ほどから何度も精を放っている。だがそれでも、勢いが収まることはなかった。
自分だけではどうしようも出来ない拷問のような快楽にサンジはとうとう陥落し、振り返ることなく呟いた。
「どうにかしてくれ……ゾロ」
階段の横に静かに立っていた剣士が、瞳を開いた。
じゅぶ、じゅぶ、といやらしい水音が展望室に響く。ゾロは自分の足の間でうごめくハニーブロンドを手で梳いた。その刺激だけで、びくんとサンジの身体が震える。
「妙な匂いさせやがって」
彼にしては時間に余裕を持たずにサニーに帰ってきたサンジからは、別の香りが漂っていた。それも2種類。ゾロにとって、サンジ以外のタバコの香りなど不快以外の何物でもない。獣のような嗅覚はそれを敏感に察知していたが、いつも通りに振舞おうとするサンジの意思を尊重して問いただすことはしなかった。しかし、さっきのやり取りから明らかにおかしい彼を放っておくわけにはいかないと判断し、見張り台へとやってきた。
熱心に自分のペニスを咥えるサンジは、いつもの彼とは違う。2年前に比べれば多少はオープンになったが、それでも恥じらいを捨てきれずあまり能動的に動くことはしない。その彼がこうもあからさまに動いていると、昼間に何かあったと勘ぐるのは当然のことだろう。
つと、サンジの口が離れた。髪を撫でていた手を取り、人差し指をうっとりと口に含む。先ほどの口淫と同じような動きに、途中で放り出された雄がどくりと波打った。しかし何かを探っているような動きにゾロは舌打ちをし、手を引いた。
「てめェ……何と比べてやがる」
「……っ、べつに」
目を逸らして答える姿に説得力などない。
「何があった」
「何も、ねェよ」
「身体に聞くぞ」
沈黙が二人に重くのしかかる。サンジは渋々口を開いた。
「……昼間に……しくった。煙野郎の、部屋の……っ、煙草を失敬したら……ヤバいやつだったみたいで、よ」
へへっとらしくなく笑うサンジにゾロは内心歯噛みしたが、この男はこういう意固地な一面がある。決して素直とは言えない彼がここまで吐くのだからよっぽどのことだろう。
昔ほど熱くはならないが、サンジがゾロにとってあまり好ましくない状況にいたことは確かだ。
「出すモン出したら……平気だと思ったんだが、後発性の効能もあったみたい……ぅん!」
気になることは山のようにあったが、ゾロはサンジの口を自分のそれで塞いだ。
たかがキスだけでサンジは甘い呻き声を上げ、ゾロの服を汚した。荒い息をついて崩れ込むサンジを冷静に見下ろす。
「仕置きが必要だな。淫乱コックが」
やや乱暴に髪を引いて上を向かせ、隻眼の剣士はにやりと笑った。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
疲労困憊という言葉がぴったりのサンジを毛布にくるみ、己の膝の上に頭を乗せてやる。やってもらうことは多いが、ゾロがサンジに膝枕をするのは稀だ。
「寝ろ。おれが見とく」
サンジの起床時間まで2時間を切っている。さりげない気遣いにサンジは素直に頷いた。
「なァ……」
「あ?」
「……悪ィ」
「おう」
掠れた声に、短く答えた。
「二度はないからな」
安心したように静かに寝息を立て始めたサンジの髪を撫でながら、ゾロはずっと我慢をしていたため息を零した。
サンジの自白に近い説明を、敢えて遮った。過ぎたことは仕方がない。取り返しのつかないことを聞いてどうしろというのだ。しかし-
以前のサンジなら、死んでも隠し通していた出来事があったのは確かだ。だが薬の効果とは言え、その事実を素直に打ち明けた。
この2年で、彼の脆い内面は静かに強くなっている。
こいつはこんなことじゃ離れねェ。
ゾロには確固たる自信があった。2年という歳月は、ゾロの懐を広げるのにも一役買っている。剣の腕前はもちろんだが、人間的にも大きく飛躍させていた。
年を取るのも悪くない。鷹揚にゾロは笑い、外の静かな気配を感じながら瞳を閉じた。
(おわり)
------------------------------------------------- ゾロが思った以上に大人で、びっくりしてます私が。
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