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執筆者の写真丘咲りうら

愛をこめて花束を(マルコ×エース)


 ふらりと現れた客は、見事にエースの心を打ち抜いた。仕事を始めてからは、毎日が楽しくて恋人を作る気にもなれずフリーだが、学生時代からカノジョに困ることはなかった。今はレンアイよりも仕事。そう思っていたのに。


「ああ、マルコか? おれの馴染みの客だ。隣の駅で税理士だか弁理士だか、その辺の事務所を構えている」


 雇い主の適当な情報もつぶさに拾い上げ、エースはマルコに少しでも近づこうと努力した。仕事柄よく観葉植物を贈る彼の為に今まであまり触れていなかったグリーンについて勉強をしたし、イゾウの手さばきを盗み見てブーケの作り方も覚えた。まだ披露できる腕前ではないが、いつか彼からの花束のオーダーを取れたらいいと密かに願っていた。

 とにかく、マルコの傍にいたかった。スーツを着こなした彼は一分の隙もなく、大人の男を体現していた。サッチもそこそこスーツは似合ってると思うけど、彼はどちらかといえば飲み屋街で酔っぱらってインタビューを受けていそうな風体だ。(彼の名誉のために言っておくが、サッチはエースが家を出るまでは、殆どの飲み会を断って帰宅していた。だからあくまでもイメージなのだが)サッチとは違うカッコよさに、エースは憧れと淡い恋心を抱いていた。


「まァ、あの人と恋人になれるなんて思ってないんだけどさ」


 あんなに完璧な男性が、恋人の一人もいないだなんて考えられない。それ以前に、どちらも男だ。偏見は持ってないつもりだがまだまだ世間の目は冷たいし、エース自身も恋愛は女の子としかしたことがない。だが彼と「そう」なることを妄想した時に、少しの嫌悪感も抱かなかった。むしろ身体が期待してその後が大変だったぐらいだ。代金を受け取る時にわずかに触れた指先が自分に触れてくれたら、どれだけ嬉しいだろう。悶々と過ごす初秋の夜は、エースの火照りを鎮めることは出来なかった。


「マルコが事務所のグリーンを入れ替えたいらしい。エース、おまえやってみるか?」


 思わぬ提案だったのだろう。若者は閉店準備の手を止めてぽかんと口を開けたままこちらを見た。顔には「そんな大きい仕事を任せてもらえるとは思ってなかった」と書いてある。


「最近、よく勉強しているからな。店に飾ってるものも随分とご機嫌だ。マルコも数を見ている分詳しいし、色々教わりながらやってみればいい。数が多いから、半年後の納品で十分だ」

「いいの?」

「おれは世辞やごますりが嫌いでね。本音しか言わない」


 ようやく現状が飲みこめたらしく、みるみるエースの顔が輝いた。

 ある夏の日、生け込みから戻ると、エースが頬を紅潮させて不在時の来客について教えてくれた。必要以上に情報を聞き出そうとする彼にどうしてそこまで気になるかと尋ねると、彼は言った。


『おれ、多分あの人が好きだ。これって一目惚れかな?』


 聡明な店主は、エースの直感を信じてみることにした。親子ほど年の離れたエースが仕事人間のマルコの心境にどのような影響を及ぼすのか、興味があった。


「イゾウ! ありがとう!」


 今までに何度かバイトを雇ったものの、反りが合わず皆逃げるように辞めてしまった。その原因が自身の気難しさにあるとは露とも思っていない店主は、この若者が可愛くて仕方がない。


「グリーンの扱いは、そのうちおまえの方が明るくなるだろう。これを足がかりにしてみろ」

「うん!」

「その代わり、と言っては何だが」


 この辺りが狡い大人だと我ながら思うが、世をうまく渡って行くには駆け引きが欠かせない。


「交換条件ってやつ? いいよ。何?」

「最近、おまえの育ての親が気になってな。口説きたいと思ってるんだが、何か突破口がないかと考えててね」

「そっかー。サッチは世話焼きだから、多分おれが家を出てから構う人が居なくなって寂しいと思う。あれって何て言うんだっけ? 巣ごもり症候群?」

「空の巣だな」

「そう、それ。そんなのになってると思う。だから部屋の掃除とかしてもらったらいいよ。イゾウの部屋、ヤバイもんな」

「なるほどね」


 少し前に打った一芝居は、概ね間違いではなかったらしい。あれから何くれと世話を焼いてくれる彼を落とすには、彼の後顧の憂いを断ち切ればいいだけの話だ。

 自分と同じ黒髪をくしゃりと愛で、店主は閉店の準備を始めた。今はまだ遠いと感じる春も、気がつけば目の前にあるかもしれない。少し早い春風が若者の背中を押していた。

 今日はお人好しのリーゼントが「エースには内緒だからな」とこっそりと差し入れてくれたつまみで一杯やろう。次はどうやってあの男を部屋に招くかを考えながら、イゾウはふっと笑った。


「イゾウから聞いたよい。よろしくたのむ」

「あ、はい!」


 いつもはスーツで現れる彼が普段着で訪れたことに、エースの鼓動は跳ね上がった。シンプルなジャケットにタイトなチノパン。細身でありながら程よく筋肉が付いたバランスの取れた体躯は、ジムか何かに通っているのだろうか。とにかくカッコ良かった。


「打ち合わせはまた別で日程を取るとして、今日はちょっと花束を頼みたくてねい」

「はい。少々お待ちください」


 ブーケとなると、エースの管轄外だ。先日、「年明けにはおまえにもブーケをやってもらう」と店主に言われているので、今は盗み見ではなく横について勉強をしている。奥で作業をしているイゾウを呼んで店頭に戻ると、マルコの隣にはまるで雑誌から抜け出したような美女が立っていた。


「あ、あの」

「やァ、お揃いで。いらっしゃい」


 イゾウとマルコの会話は、エースには全く入ってこなかった。白いワンピースを着た華奢な女性は、マルコと並べば道行く人が皆振り返るようなお似合いのカップルだ。三人で談笑した後に女性はマルコの腕に自分のそれを絡め、マルコに何かを囁いて去っていった。そうだよ。分かってたじゃないか。呆然とするエースに、イゾウが声を掛ける。


「エース、ご指名だ。ブーケをやってみろ」

「え! でも」

「客相手じゃないと実践にならないだろう。何かマズければフォローするが、まァ相手がマルコだから、少々失敗しても構わないさ」

「酷い花屋だねい」


 いつもなら楽しめるマルコとの会話も、今は辛いだけだ。だが仕事は仕事。花に罪はない。もちろん、マルコにも。


「おれで、いいんですか?」

「長い付き合いになるからねい。おまえに頼みたい」


 この先半年近く一緒に仕事をすることになる相手への気遣いか、と消沈した。大人のこういう心配りは、時に若者の心を無下に抉る。


「ありがとうございます。えっと、じゃぁメインはどれにしましょうか」

「オレンジベースで、太陽をイメージしてくれ」

「分かりました」


 花束はほとんどが「大切な誰かに渡す」ものだ。きっと相手は、さっきの彼女だろう。確かにマルコの為に花束を作りたいと思っていた。ただ、恋い焦がれるあまり「マルコが誰に渡すか」というところまでは考えついていなかった。


「出来上がるまで、茶でも頂くよい」

「ふふ。図々しい客だな」


 店主とアトリエへ消えたマルコを見送り、深呼吸で誤魔化した深いため息を吐き出した。キャリアは浅いが、これでお金を貰ってる以上、プロ意識は持たなければ。エースは胸の内に渦巻く感情を抑え込み、作業を開始した。


「おまたせしました」


 何とか完成したブーケを持ち、アトリエへ入る。プロの目線でじっくりとブーケを確認するイゾウを、心臓が潰れそうな気持ちで見つめる。相手の気持ちを汲み取ったブーケを作るのがおれたちの仕事だと常々言っている彼の目は、とても厳しい。自分の心境は無視して、彼の幸せを願って作ったつもりだった。


「上出来だ。前倒しで、年末からブーケに入ってもらう」

「……っ! はい!」


 店頭で声がする。マルコに渡して行こうとしたエースを制したのはイゾウで、アトリエにはマルコとエースの二人きりになった。

「あの、これで大丈夫、ですか?」


 イゾウから再び預かったブーケを、マルコに渡す。ブーケを見る彼の目は優しさに満ちていて、きっと手渡す相手のことを考えているのだろう。ぎゅうと潰されそうな感情を、エースは必死で耐えた。


「ありがとう。ついでにもう一つ頼みがあるんだが」

「おれに出来ることであれば」


 彼の望みであれば、何でも叶えたいと思った。それが自分の気持ちに反していても。


「この花束を、受け取ってくれるかい?」


 言われたことがさっぱり分からず、エースは穴が開くほどマルコを見つめた。


「あの……っ。これって、さっきの」

「ああ、さっきの子かい? あれは親戚の娘だ。顔は綺麗だが、おれからしたらただのワガママなお姫様だよい」

「そっか……」


 安心して力が抜ける。そうか。だったら、まだおれにもチャンスはあるかもしれない。


「で、返事は?」

「え?」


 聞いてなかったのかよい、と、マルコが苦笑する。そう言えば親戚の子の前に何かを言っていた気がするが、エースの頭にはさっぱり残っていなかった。


「この花を、おまえに受け取って欲しい。こんなおっさんが何を言ってるのかと思うだろうが、おれの恋人になってくれないか?」


 鮮やかなオレンジ色のブーケが歪んだ。頬を伝う熱いものが自分の涙だということに、随分と経ってから気が付いた。ゆっくりと前に立った笑顔がくすぐったくて切なくて、エースはブーケごと愛しい人に抱き付いた。


(おわり)


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GLC12無配

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