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執筆者の写真丘咲りうら

恋は砂糖菓子のように(マルコ×エース)


暑くもなく寒くもない、穏やかな日差しが降りそそぐうららかな午後。絶好の昼寝日和の甲板に響く若い声に、海鳥達が呼応する。夜の宴とは違う賑やかさが席巻するモビーディック号に、マルコは些か座りの悪さを感じていた。尊敬する父が船長を務める偉大な船にそんな感情を抱く理由は、甲板を賑わせている彼との関係に他ならない。


明日をも知れない海賊に「後悔」という文字は似合わない。生きたいように、思うがままに生きて行くのが自分の人生だと常々思っている。それは彼に限らず、海賊稼業なんて物騒な商売をやっている人間なら理解できる事だろう。

だがマルコは、今回ばかりは後悔していた。可愛い末っ子の責めるような視線。傷つけたいわけではなかった。


無数の星がまたたく夜、マルコはエースにキスをした。自分でもまったくの無意識だった。

今にもこぼれ落ちそうな星を見上げる彼の顔に手を添え、唇を重ねていた。自分の行動を理解するまでに、随分と時間が掛かった。どん、と身体を離され、彼がじっと見上げる。


「……ごめん」


踵を返して走り去る彼を、追えるはずがなかった。


その日以降、避けられていることは十分感じていた。そうされるだけの事をしてしまったのだから仕方がない。隊長内では全員一致で二番隊隊長への推薦が決まっているとはいえ、まだ一隊員に過ぎない彼と話す機会は、今考えれば全てエースから持ちかけられたものだった。それがなくなった今、どうやって話を切り出せばいいのかもわからない。天下の白ひげ海賊団の一番隊隊長が、なんと無様なことだろう。


船尾まで歩き、獣化した脚で思いっきり甲板を蹴り上げ大空へ羽ばたく。背中に感じるエースの刺すような視線が、痛かった。



「何か飲ませろい」


深夜のキッチンにやってきた不死鳥様のご機嫌は今一つのようだ。ガキの頃からなんだかんだと一緒にいた仲なので、その理由も聞かずとも察することができるのは腐れ縁という鎖が繋いでいるからだろう。


「はいはい。もう火を落としたから、ツマミは出ませんよっと」


ロックグラスにビターズをワンショット。氷を入れてバーボンを注ぎ、明日の朝食用に切っておいたとっておきのフレッシュレモンの薄切りを浮かべてやる。徹底的に甘さを削ぎ落としたオールド・ファッションドの海賊版といったところだろうか。

出されたグラスを一振りし、マルコは一気に煽った。サッチと違い、この男はとことん酒に強い。


「で? まだ言い訳出来てねェの?」


核心に切り込んでやると、マルコはふんと鼻を鳴らした。この男がポーカフェイスでないのはとても珍しい。もっとも、それに気がつくのはサッチをはじめとするごく一部の人間だが。


「言い訳も何も、この一週間顔も見てねェよい」

「広い船だからねぇ」


その広い船で毎日毎時間マルコの側に付いて回っていたことを考えると、今の状況がいかに不自然かが分かる。


「上から捕まえればいいじゃねぇか。脚で引っ掴んで空で話してこい」

「炎になって逃げられて終いだ。それにあいつは、もうすぐ隊長になる。関係をこれ以上悪化させてどうする」

「へー。じゃぁ、諦めんの? 狙ったエモノは逃さないおまえが?」


じろりとこちらを見やる視線は、あいにくサッチにはきかなかった。ガキの頃からどんだけやりあったと思ってやがる。


「らしくないな。ま、それが恋ってやつだけど」


決して認めようとしない感情を敢えて口に出して追い詰める。何でもそつなくこなすくせに自分のこととなるとどこまでも疎い男には、これぐらいのお節介がちょうどいい。

カクテルグラスに、先ほど出来上がった菓子を転がすように入れた。爪の先ほどの色とりどりの小さな粒には、ちょっとした仕掛けが施してある。


「鳥の餌かよい」

「はん、トリ頭にはもったいない食い物だっての」


つまんで口に入れたマルコの顔が、少しだけ驚きを浮かべた。


「……コニャックか」

「あ、いきなりアタリ引きやがった。シロップやら酒やらを、砂糖の衣で包んでんの。おまえが食ったのは、こないだ手に入れたビンテージもんさ」

「海賊のくせに、ちまちましたもんを作りやがる」

「甘いモンってのは、人を幸せにするからな。これなら日持ちもするし」


振動を与えては台無しという、揺れる船ではかなり難しいレシピを試行錯誤して完成した自信作だ。


「そういう腕だけは確かだねい」

「一応、コックやってるんでね」


ひとつ、ふたつと口に入れるところを見ると気に入ったらしい。


「ま、どっちにしても話はしないと進まないんじゃねぇ? あんまりモタモタしてっと、他のヤツらに喰われちまうかもよ? おれとか」

「おまえなんて、イゾウに手酷くフラれたらいいよい」

「おれは誰かさんと違って何度でもアタックするさ。一度拒否られたぐらいでメゲるなんざ、海賊の風上にも置けねェよ」


可愛い末っ子が一番隊隊長ご執心なことは周知の事実で、知らないのは当の本人だけだ。この鈍感さが、何でも完璧な長男坊の唯一の落とし穴かもしれない。


「んじゃ、サッチさんは用事があるからもう行くわ。グラスはシンクに。灯だけ消しといてくれ」


スライスレモンを口に放り込むマルコに言い置き、サッチはキッチンを後にした。向かうは、最近手に入れたくて仕方がない麗しの十六番隊隊長の居室だ。手にした包みの中は、米の酒を入れた砂糖菓子。かりりと噛めば広がる故郷の味に、素気無い態度しか取らない彼はどんな反応をするだろう。


「イゾウちゃんはまだ起きてるかね~」


いつの世も、恋心はなりふり構わない。



サッチは髪型も性格もアレだが、一度口にしたものをすぐさま再現できる技術は認めざるを得ない。


「あいつなら、悪魔の実の味も再現できるだろうねい」


もう二度と口にしたくない味だったので、試食は遠慮したいが。


部屋に戻りながら、薄い衣に包まれたほろ苦さを反芻する。脆くて繊細な食感に、マルコは胸のどこかがちりりと痛んだ。

エースに向けていた親切心や笑顔は、薄い砂糖で作った仮面だ。まやかしの薄っぺらさの裏には、彼を自分のモノにしたいという欲があった。それは日を追うごとに厚く醜く成長し、薄い殻ををいとも簡単に壊してエースからの信頼を踏みにじった。だが腐れ縁の指摘通り、共に旅をする家族としてこのままでは前に進めない。どうにかして彼と話をしなければ。


角を曲がれば隊長室が並ぶ廊下に、思わぬ気配を感じた。


「……エース?」


マルコの声にぱっと背を向けた彼の手を咄嗟に掴む。


「……少し、いいかい?」


諦めたように頷いたエースの表情は、夜の陰に隠れて見えなかった。



深夜の海は静かで、部屋にはランプが油を燃やす音だけが小さく聞こえる。呼び止めて部屋に招いたものの心の準備など全くしていないマルコは、どう切り出すべきか考えを巡らせた。これなら敵船突破の作戦を練る方がよっぽど簡単だ。


「……最近、顔を合わせないねい」


くだらない世間話調の切り出しに、マルコは自分を蹴り飛ばしたかった。もっと言いたいことや伝えたい事はあるというのに、大人の狡さが邪魔をする。黙り込んだままのエースに、マルコはもう少しだけ踏み込むことにした。


「おれに言いたいことがあってここにいたんだろい?」


隊長室が並ぶこのエリアには、よっぽどの用事がない限り平の隊員は足を踏み入れない。末っ子のエースはそんなこともお構いなしにしょっちゅう来ていたので慣れた道だが、あの一件から彼はここに来ていない。何か「用事」があって来たと考えるのが自然だ。


「あのさ……。これ……」


手に持っていた包みを受け取り中を見ると、そこには先ほど食べた砂糖菓子が無造作に入っていた。


「サッチがさ、くれたんだ。自信作だから、これ食ってマルコと仲直りしろって」


彼もまた、エースが可愛くて仕方がない家族の一人だ。あのお節介リーゼントは人の機微に聡く、こういう動きはめっぽう早い。包みから一粒取り出し、口へ入れる。かしゅんと砕けた衣の中から、ほのかなオレンジの香りを纏ったリキュールが溢れた。


「何が入ってた?」

「コアントローかねい。オレンジの味だ」

「おれ、さっき変な酸っぱい酒が当たってさ。マズくはないけど不思議な味だった。サッチは紛れ込んじまったって言ってたけど、何のことか全然分からなかった」

「きっとウメの酒だ。どうせイゾウ用に作ったんだろい」

「そっかァ。サッチはイゾウのことが大好きだもんな」

「完全にサッチの一方通行だけどねい」


 マルコの淡々とした声に、エースが吹き出した。サッチとイゾウの攻防戦は、最近のモビーを賑わせているイベントの一つだ。全く振り向かないイゾウをサッチが落とせるかを皆で賭けている。レートは「落とせない」が圧勝だが、人の心はどうなるか分からないから面白い。ちなみに今回の胴元はラクヨウだ。

笑っていたエースが、ふと真顔になった。


「……ごめん」

「何がだい」

「こないだ……突き飛ばして……」

「……あれは、どう考えてもおれが悪いだろい。野郎に突然あんな事されて」

「ちがう、ちがうんだ」


遮って否定するエースの顔は辛そうで、何かにもがいているようで見ていられなかった。彼のこんな顔を見たかったわけではないのに。


「イヤとか、そんなんじゃなかったんだ。ただ、びっくりして。そっからマルコの顔、見るのが辛くなって、そんで逃げてた」


あの時『おれが逃げない』と言い切った彼から「逃げる」という言葉が出てきたことにマルコは驚いた。拳を握りしめて決心したようにマルコと視線を合わせる。が、たちまち頰は赤く染まり、そのまま発火しそうな熱を感じた。


「……っ、やっぱりダメだ」


残念なことに、色恋に朴念仁な一番隊隊長にはエースの葛藤が全く見えなかった。サッチあたりが側にいたら爆笑とともに蹴飛ばされていただろう。


「あ、あん時、ホントにビックリして。うっかり『おれも好きだ』って言っちまいそうになって……。マルコはそんなこと言ってないのに勘違いしそうになって、だからっ……」

「……エース?」

「この菓子を食べた時に、おれみたいだなって思ったんだ。一生懸命隠してるつもりだったのに、あんなに簡単に言っちまいそうになって」

「エース、待て。おまえ今、何て言った?」

「だから、隠してたのに、突然あんなことされて」

「その前だよい。おれのことが好きだって言ったな?」

「……あっ!」


ボンッ、と頭から発火したエースが狼狽える。


「ちが、ちがうんだ」

「何が違う。おれには、おまえがおれに惚れてると聞こえた」


決して華奢ではない身体を引き寄せ、抱きすくめる。不思議とフィットする感触に、マルコは観念した。


海賊なら、奪うまで。


「だから、その、それはそうだけど、マルコは違うだろ? あのキスだって」

「……正直、自分でもあの時の行動は理解が出来なかった。酔ってたわけでもないしな。だがおれは、たとえベロベロに酔っていたとしても惚れてもねェ野郎にキスなんてしたりしないよい」

「誰にでもするわけじゃないの?」

「当たり前だ」

「サッチとかにも?」

「蹴り飛ばすぞ」


前世にどんな罪を犯したら、腐れ縁にキスをするハメになるというのだ。この末っ子は、時々突拍子もないことを言う。安心したように笑うエースが見上げ、視線が交わった。


「……キスしてもいい?」


断る理由など、どこにもなかった。



儚くほどけたほろ苦さは、甘く切ない恋の味。


(おわり)


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