マルコが「一人の」生活になり、3か月が過ぎた。平凡な日々で、何の彩りもない。エースと別れた時期と繁忙期が重なり、帰りはいつも深夜を回った。寝食を忘れるほど仕事に没頭し、最近は横になっても眠れないのでベッドにすら近寄らなくなった。そんな時に、旧知のシャンクスから「久々に飲もう」と連絡があった。
呼び出しに応じたのは、たまたま仕事が一段落して暇だからだ。
待ち合わせのバーに向かうまでの間、マルコは何度も自分にそう言い聞かせた。意味などない。それ以上の意味はないのだ。
都心でも最高クラスのホテルの最上階にあるバーは、シャンクスとの待ち合わせの定番だった。別にそこでないといけないわけではないが、ある程度遊び慣れた2人は、飲み場所を新規開拓するなど面倒なことには時間を割かない。いつものあのバーで。それで通じるこの店が楽なだけだ。
久しぶりの洗練された空間に、マルコは懐かしさを禁じ得なかった。エースはこのような場所はあまり好まず、賑やかなチェーンの居酒屋かマルコの家で飲みたがることが多かった。それはそれで楽しかったし、エースが作ってくれる鍋料理はマルコにとって何よりのご馳走だった。
顔見知りのマスターに会釈だけで挨拶を交わし、窓に面したソファー席に座る。程なくして出てきたのは気に入りのスコッチで、まだ好みを覚えてくれていたバーテンにひらりと手を挙げた。
グラスを半分ほど空けたところで、待ち人がやってきた。
「すまんな。ギリギリになってやっかいな荷受けが入った」
短く詫びるシャンクスにマルコは「ここはおまえの奢りだよい」とだけ言い、グラスを傾けた。
しばらく静かに飲んでいた2人だったが、シャンクスが口を開いた。
「立ち直ったか」
「何の話だい」
「"自分探しの旅"とやらに出るっつっておまえを振った若造との失恋からだよ」
「……サッチか」
聡い男はその情報源まで一瞬で突き止め、別段動揺することもなく淡々とグラスを空けた。
「まぁそう責めてやるな。うちに来たときにベックに零してたんだ。せっかく人間らしくなったのに、またワーカーホリックに逆戻りだって」
「で? お節介な同僚に唆されて無関係なおまえが説教しにきたのかい?」
「冷たいことを言うなよ。昔はいい仲だったじゃないか」
「昔の話だ」
バッサリと切るマルコに、シャンクスはやれやれと肩をすくめた。
「おれにも嫉妬する権利ぐらい欲しいね。おまえが親子ほど離れたガキと懇ろになってるなんて知らなかったんだぜ?」
「おまえとは終わっただろい」
「ああ。おまえに手酷く振られてな」
確かにシャンクスとマルコは恋人と呼べる時期があった。しかしそれは遠い過去の話だ。今はあくまでも仕事上の付き合いだけの関係にすぎない。
「そんなにいい男だったのか。エースとやらは」
「……口が悪くて喧嘩っ早い、どうしようもないバカだったよい」
それでも、可愛くて放っておけなかったんだとマルコは小さな声で呟いた。
「別れたくなかったんだろう。何で引き止めなかった」
「若いあいつをおっさんのエゴで縛り付けてどうする。あいつにはまだ可能性ってもんがあるんだ。おれみたいなのが足元に絡みついてたら邪魔でしかねぇだろい」
マルコのグラスはどんどん空いていく。心配そうなバーテンの表情がシャンクスの席から見えたが、(大丈夫だ)と視線を送った。
「おまえはいつもそうだ。本当に欲しいものには決して手を出さない。ビジネスではあんなに大胆になるくせに、プライベートなことになると途端に臆病風が吹く。おれとの事もそうだったろ」
「おまえとは終わったと言ったろい」
「エースとも終わったんだろ」
ぴしゃりと言い放つと、マルコはグラスを置いて頭を抱えた。
「……そうだよい。全部終わった。エースとも、何もかも。だからもういい。何もいらない。仕事があればそれでいい。だから放っておいてくれ」
小さな嗚咽が聞こえてきた。臆病なこの男は、手を引くことでしか自分の意志を示すことが出来ない。
シャンクスは確信していた。
荒療治が必要なのだ。この男には。
それを出来るのは、自分しかいない。
「……行くぞ」
マルコの手を引き、シャンクスはバーを出た。そのままエレベーターを使って階下に降り、リザーブしていた部屋へと入った。
嫌がるマルコを無理やり部屋へ押し込み、ベッドへとねじ伏せた。そこで抵抗を諦めたのか、マルコは腕で顔を隠しすすり泣いた。大の男が、ガキに振られたぐらいで酒に酔って泣く。限りなく情けない話だがマルコがこの状態になるまでに実に3ヶ月も掛かったのだ。そこまでの月日をかけないと、彼は感情を出すことが出来なかった。
「……まともに眠らなくなって10日、いや、2週間ってとこか」
己のネクタイを取りながらシャンクスが冷静に分析する。普通の人間なら病院送りになっていてもおかしくない状況でも、マルコは飄々と生きていた。だからこそ危険なのだ。
「抱くぞ、マルコ。心なんてどうだっていい。身体だけでも楽になれ」
シャンクスを振り払う気力は、マルコの中に残されていなかった。
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