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執筆者の写真丘咲りうら

朝の挨拶 ~Side M~

空が快晴だからと言って、心が晴れているわけではない。  そんなやさぐれたことを考えながら、非番の1番隊隊長はシャワーブースから出た。珍しく深酒をしてしまい、目が覚めたのは朝食などとうに過ぎた時間だった。当然寝起きは最悪で、シャワーでも浴びるかとブースに入ったはいいが、そんな時に限って朝から我が息子が無駄に主張をしはじめたので、ついでに処理をした。淡々と擦り、溜まったものを出す。彼にとって、自慰は排泄と同位置にある行為だ。若かりし頃ならともかく、ここまで年を重ねてしまうとただの処理に過ぎない。  乱暴に身体を拭き、まだ雫を滴らせている髪の毛は放置して、どこぞの末っ子みたいに上半身裸で廊下に出た。

「マルコ、おはよう!」

 ちょうど部屋から出てきたエースが声をかけてきた。

「おはよい」 「マルコ、シャワー浴びたのか? 頭がビショビショだ。ちょっと待ってて!」

 慌てて部屋へ戻ったエースが(明らかに部屋に転がっていただろうというくたびれた)タオルを手に戻ってくるまで、わずか数秒。その黒い瞳には、心配そうな表情が浮かんでいた。

「どうしたい」 「なぁ、マルコ。朝、抜いたのか?」

 遠慮がちに聞かれたエースの声音を大して気にすることなく、マルコは「ああ、抜いたよい」と答えた。

「そっか。……でもさ、それじゃ力入らねェだろ?」 「あぁ? 何言ってんだ。おまえは抜かねェのか?」 「おれ? ほとんど抜かないなぁ」 「若いのに珍しいねい」 「そうか? 若いヤツほど抜かないんじゃねェの?」 「逆だろ。抜いたって力は入るし、むしろ抜かねェ方がすっきりしねェだろい」 「……!?」

 エースの表情に何かしらの変化があった気がしたが、若干二日酔いのマルコは気にせず続けた。

「船に乗ってたら、女っ気がねェのは仕方ねェよい。ザーメンなんて溜めてたっていいことねェんだから、おまえも陸まで待たずにたまには自分で抜いた方がい」 「~~~~~!!!! 何言ってんだよ! マルコのバカ!!!」

 エースはマルコの話が終わるのを待たずに、顔から火を噴き出さんばかりに真っ赤になって持っていたタオルをマルコに投げつけ、脱兎のごとく走り去っていった。

「……何なんだよい」

 分けも分からず怒られて、まったく腑に落ちない。投げられたタオルを頭に乗せ、マルコは潮で傷んだ金髪を乱暴に拭いた。

* * * * * * * * * * * * * * *

「おまえね、エースに何の話したんだよ。セクハラされたっつってキッチンに転がり込んできたんですけど」

 寝起きのコーヒーを貰いにラウンジへ行くと、腐れ縁の4番隊隊長から説教をされた。今日は何とツイてない日だろう。

「セクハラなんてしてねェよい」 「下ネタかまされたって騒いでたぞ」

 そこで合点が行った。つい先ほどの出来事だというのに、何て耳が早い男だろう。からかわれること必至なので言わないが、エースが彼を頼っているというのが、マルコにとっては少し面白くない事案だ。

「あんなので下ネタなんて言われたら、たまったもんじゃねェ。朝抜いたかって聞かれたから、抜いたって答えただけだよい」 「……おまえ、それわざとか?」 「何がだ」 「エースが聞きたかったのはおまえのザーメン事情じゃなくて、メシの話だろ」 「……ああ、そうなのかねい」

 どこかぼんやりした1番隊隊長の返事に、サッチは嘆息した。

「あんな見るからに童貞のエースに、朝からそんな話するなよ」 「あいつが勝手に勘違いしただけだろい」 「ちぃと考えりゃ分かることだろ」 「ちゃんと主語を言わねェのが悪い」 「ったく、しょうがねェなぁ」

 付き合いの長いリーゼントは苦笑してそれ以上の詮索を諦め、とっておきの濃いコーヒーを差し出した。

「ちゃァんと誤解を解いとけよ。性少年は、拗らせると厄介だぞ」 「おまえみたいにねい」 「うっさい。おれはもう卒業したの。それにおまえだって色々ヤっただろ」 「若かったねい」 「ジジィみてェなこと言うなってんだ」

 昼食の仕込みに戻ったサッチの背を見て、マルコも苦笑した。

「確かに、そろそろ潮時かもしれないねい」

* * * * * * * * * * * * * * *

「おっさん! あのエロおっさん!!」

 ジョリーロジャーがすぐ頭上ではためく見張り台の中で、「これでも食って落ち着け」とサッチに渡された特大マフィンを齧りながら、エースはまだ悪態をついていた。純粋に心配したのに、何という無駄なことをしてしまったのだろう。この心配を返してほしい。朝の挨拶で、どうしてオナニーの話になるのか。おっさんの思考回路は若者にはさっぱり理解できない。

「セクハラだ、セクハラ」

 海賊で、家族で、同性の間柄で、そのような単語が存在するのかどうかは謎だが、今のエースは完全に「被害者モード」だった。

「けど……」

 最後の一口を放り込み、マフィンがなくなった手をじっと見つめた。  いつも飄々としていて、「性欲なんてありません」って澄ました顔をしているマルコもそんな事をするのかと、脳裏にマルコの男らしいがどこか繊細な手を思い浮かべ、自分のそれと比べる。

 あの手で……自分で……シたってことだよな?

 彼の「その時」の表情をうっかり想像してまい、エースは慌ててぶんぶんと頭を振った。

「な、ななななな何言ってんだおれ!!」

 マルコは男で、おれも男なわけで、おれとマルコがそんなことになるなんて絶対ないはずで、いや何言ってんのおれマジで!  顔から盛大に炎を吹き出しながら頭を抱えるエースの背に、大きな翼の影が映った。

「マルコ!?」

 慌てて振り返った空には、青空を背にしても映える青い炎が揺らめいていた。

「話がある。ツラ、貸せよい」

(おわり)

-------------------------------- やっぱりエースくんがただ可哀想なだけのお話

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