「何やら騒がしいねい」
イゾウは「暦の上では春だ」と主張するが、冬島のど真ん中にいるモビーにとっては完全に冬の気候の夜。それでも男たちは暖を取りながら甲板で好きに飲んでいた。その間を縫うように、末っ子が何やらせわしなく動いている。どうやら各隊の隊長に何かを渡しているようで、隊長が受け取った包みを開けるたびに輪の中から歓声や笑い声が弾けている。まるで打ち上げ花火のような賑やかさだ。瞬く間に家族に馴染んだ末っ子は、すっかり彼らの心を掴んでしまっていた。
「そういや、こないだの上陸で色々買い込んでたぞ。『世話になった人にはこうするんだ』って」
「エースは変なところで義理堅いからな」
ぷかりとキセルを燻らせた美丈夫が、リーゼントに同調する。今日は2月14日。いわゆるバレンタインデーだ。一部地域ではチョコレート屋の陰謀とまで言われているイベントで、妙齢の女性が想いを告げるために相手にチョコを送るだか何だか、とにかく海賊稼業には関係のない話だと思っていたのだが、エースはどこからかその情報を得て、彼なりに実行しているらしかった。
「エースなら、貰い放題だろうにな。なんであいつが配ってんだろ」
「ふふ。友チョコみたいなもんかね」
「おまえ、何でそんな言葉知ってるの」
「人間観察と情報収集が趣味なもんでな」
「さいですか……。で、マルコ隊長は? もちろん可愛い恋人から本命チョコなんて貰っちゃったワケ?」
ゲスなリーゼントがここぞとばかりに首を突っ込んできた。全くこの腐れ縁の4番隊隊長は色恋沙汰の話が大好物で、暇さえあれば聞いてくる。そもそも、エースと恋仲になったことも秘密にしておくはずだったのに、イゾウとサッチにはいとも簡単にバレた。「かの白ひげ1番隊隊長様も、可愛い恋人にはメロメロってことだなァ!」と茶化してくる瞳はどこか優しげで何も言えなかったが。
「何も貰ってねぇよい」
「えー! だっておまえら、年明けにくっついたばっかりだろ!? 初のイベントだろ? 何でマルコにやらないで他のヤツにあげてるわけ? あ、ジョズが泣いてる」
サッチの視線に合わせると、確かにジョズがエースを抱きしめて男泣きに泣いていた。手にはしっかりとプレゼントされたらしい包みが握られているので感激の涙だろうが、あの力で抱きしめられてはそろそろエースの命が心配だ。
「サッチは野暮だな。本命は最後に決まってるだろ。どれ、助けに行くか」
ふらりと席を立ったイゾウがジョズの元へ行き、ぽんぽんと肩を叩いて窘めている。その言葉にジョズはエースを放したが感激は冷めてないようで、イゾウに包みの中身を見せ、また泣き、勢い余ってイゾウを抱き締めようと手を伸ばした。が、イゾウはそれをひらりと交わして隣にいたフォッサを身代わりとしてジョズの懐に放り込み、絵面としては非常に見苦しいものにして末っ子を回収して帰ってきた。圧死寸前にされたというのにへらへらと笑っているエースはとても幸せそうで、見ていて微笑ましい。連れ戻したイゾウも同じ気持ちらしく、自分と同じ黒髪をくしゃくしゃと撫でまわしている。
「へへ。ジョズがさー、すげー喜んでくれたんだ」
「よかったねい」
ジョズにプレゼントしたのは、高価でも何でもないマスコット人形だった。だがどこを押してもふにふにと柔らかいその感触はダイヤモンドの身体を持つ彼には最高の癒しだったのと、あのナイフのようだった末っ子が自分のために選んでくれたことにいたく感激して抱きしめたというのが真相のようだ。
「何しろオヤジと隊長全員分だからさ、そんなに金もねぇし、高いのは買えなかったんだ。でもみんなが喜んでくれそうなのを1人ずつ選んだから、気に入ってもらえて嬉しかった」
エースの充実した笑顔に、こちらも自然と顔がほころぶ。不器用な甘ったれは、ここで家族としての情愛を育んでいる。その手助けができることを、この船に乗るクルーは皆誇りに思っていた。
「えー、じゃぁさ、じゃぁさ、おれとかにもあるワケ?」
サッチが身を乗り出してプレゼントを要求する。もちろん演技なわけだが、そのことには気づかないエースが「もっちろん!」と残り少なくなった袋から2つの包みを取り出した。
「これがイゾウ。パックなんだけど、カブキヤクシャになれるらしいぜ」
シートに印刷を施してあるフェイスパックで、期間限定ショップで見つけたらしい。人一倍美を気にする麗しの16番隊隊長は大層喜んだ。
「ありがとうエース。冬島は乾燥するから、早速使わせてもらうよ」
額に落とされた礼のキスをくすぐったそうに受け取り、末っ子は最後の包みをサッチに渡した。
「サッチにはこれ。去年、勝手に貰おうとしてぶん殴られたから、悪いことしたと思ってたんだ。そんなに貴重なもんだって知らなくてごめんな。似たようなのを見つけたから買ってきた。けどこの卵、食えねェんだな」
イゾウが当たり前のように開ける様子を眺めていたサッチだが、中身を見て派手に酒を吹き出した。イゾウの手に握られているのは、卵の形をしたいわゆる「大人の玩具」だった。そうはいってもグロテスクな張型などではなく、相手がいなくても一人で完結できるもので、有り体に言ってしまえば、一人遊びのお楽しみグッズだ。
「へェ。冬島限定ホットジェル付きか。イイモノ貰ったな。サッチ」
「ガキに何買わせてやがんだよい」
「マルコひでぇ。おれガキじゃねぇって」
三者三様の反応をする中、サッチは居たたまれない気持ちで力なく礼を言うのが精一杯だった。まったく、野郎ばかりのこの船にはプライバシーというものは存在しない。それに、末っ子には4番隊隊長がどういう人物として映っているのか。疑問は尽きない。
「おれのことはいいからよ……。マルコにもプレゼントしてやれよ。大トリだろ? お待ちかねだぜ?」
サッチの言葉に、エースは意外にも目を泳がせた。
「あ~……。実はさ、マルコの分は部屋に忘れてきたんだ。マルコ悪ィ。あとで部屋に届けるよ」
「んだよ、ヤラしいな。人前では渡せないモノだったりするわ……イデデデデ! イゾウちゃん! 痛い!!」
「あんたは本当に野暮だな。冷えてきたからそろそろ戻るぞ」
自慢のリーゼントを容赦なく引っ張りながら冷たく言い放つイゾウは、相変わらず冷静だ。
「ついでにあんたが貰った『卵』の使い心地も試してやるよ」
「いらねぇよ! 痛ェ! 引っ張るなって!」
そのままずるずると引きずられて退場したサッチを見るエースは、心なしか困った顔をしているように映った。
「まったく、騒がしいやつらだよい。じゃぁおれも部屋に戻るかねい」
「うん。あとで行く」
部屋に来たエースは、どことなく落ち着かない様子で各隊長に配り歩いたプレゼントの中身を詳細に話してくれた。マルコは酒を飲みながらその様子をつぶさに見ていたので内容はすべて把握しているが、そこは大人の狡さをおくびにも出さず「気に入って貰えて良かったねい」と穏やかに返すにとどめた。
だが心情としては穏やかではない。すべての隊長に余すことなく渡されたプレゼントが、自分にだけ渡されていない。物が欲しいわけではないが、日は浅いとは言え恋仲なのにと思ってしまう。いい年をしたおっさんが気に病むことではない。だがエースが絡むと普段は馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う嫉妬の感情が、マルコをいとも簡単に支配する。
「で、おれにはないのかい?」
今までサッチが代弁していたことを、マルコは初めて口にした。その途端、ふっとエースの表情に色が差したように見えたのは気のせいだろうか。
「あのさ……サッチの卵を買ったときにさ、店の人が『あんたは若いんだから、こんなのばっかり使ってたらダメだ』って教えてくれて。おれのじゃなくてプレゼントだよって言ったら包んでくれたんだ。
「ああ、それであんな過剰包装だったんだねい」
「うん。で、『あんただって、イイ人がいるんだろ?』ってこれを見繕ってくれたから、買ってきた」
差し出されたシンプルな包みを開け、いつも冷静沈着な1番隊隊長は目を見開いた。そこにはどう贔屓目に見ても、男性用の避妊具が入っている。
「こういうのは、大事な相手だからこそ使わなきゃいけないって。おれ、マルコのこと大好きだから使って欲しいって思ってる。マルコがおれとそういうことをしようとしないのは、もしかしてこういう準備がなかったからかなって……っ!」
理性が焼ききれる音を聞いた不死鳥は、可愛い恋人を力いっぱい抱き締めていた。今ならジョズの握力を超えられる気がする。
確かにエースと恋仲にはなったものの、それらしい行為には至っていなかった。そこには親子ほど年の離れた相手に対する躊躇があるのは事実だが、それに逆行するようにエースを抱きたいという欲求は日に日に高まっていた。準備不足どころかありとあらゆるアイテムを用意し、どうアプローチしようか日々悩んでいたと言うのに、この末っ子はいとも簡単にその壁を乗り越えてやってきた。しかも準備万端整えてだ。
「……なんてガキだ。おっさんを誑かすんじゃねぇよい」
「ガキじゃねぇって」
「十分ガキだ。こんな真っ向勝負、他のやつにやったらタダじゃおかねえよい」
震える声を叱咤してマルコはそう宣言し、愛しい恋人の顔をまじまじと見つめた。先ほど家族に見せていた表情とはうって変わって色めいている。一体いつの間にこんな表情をするようになったのだろう。そして彼のこんな顔を見れるのは自分だけなのだ。これ以上の優越感が他にあるだろうか。
「マルコこそ、他の奴にコレ使ったら、燃やすからな?」
「おまえ以外の相手に使うヤツなんざいねぇよい。すぐ空にしてやるから覚悟しろい」
少しだけ背伸びをしてキスを強請る恋人の誘いを断るなど、マルコには出来るはずがなかった。
「おはよう、エース」
「あ、イゾウ。おはよ」
翌朝。あくびをしながらラウンジに入ってきたエースを捕まえたのはイゾウだった。手には彼がギョクロと呼ぶ深緑の飲み物がある。これを飲んでいる時のイゾウは、かなり機嫌がいい。
「首尾はどうだった」
「うん。なんとかうまくいった」
へへっと照れ臭そうに笑う弟を見て、イゾウは笑んだ。
上陸最終日にいかがわしい店の前で右往左往するエースを見つけたのは、他ならぬイゾウだった。兄の姿に気付いた弟は感情のままにその場で相談事を持ちかけ、「こんなこと、イゾウにしか聞けないんだ」と縋ってきた。事情を把握したイゾウがエースの買い物に同行することなく店の前で彼の買い物を待っていたのも、可愛い末っ子の身の安全とプライバシーを尊重する為だった。まったく突拍子のない行動をする末っ子だが、それでも自分を頼ってきた彼の判断は正しかったと自負していたのでこちらとしても一安心だ。
「いいものが見つかってよかったな」
「うん。ついでにサッチのも見つけたし」
「まァ、あの店になら売ってるな」
「あれどうだった? 使った?」
「ヒィヒィ言ってたさ。今日は使い物にならんな」
そう言えば厨房にもサッチの姿が見当たらない。確かに今日は非番だが、いつもはそんなことお構いなしにフライパンを振っている彼がいないのは珍しかった。
「ふーん。あの卵、そんなにいいんだな」
「おまえは使わなくていいモノだ。せいぜい、マルコに可愛がってもらいな」
イゾウの言葉に、エースの頬が赤くなる。未知の体験に戸惑うエースを、マルコは決して嗤ったりしなかった。少しずつ大人の階段を上る彼を、立場は違えどこの船のクルーは皆見守っている。
「あ、マルコだ。おはよー!」
明るいエースの声がラウンジに響き渡る。「朝からでけェ声出すない」と言うマルコも、心なしか浮かれ気味だ。
「ふふ。ヴァレンテヌスとやらの恩恵かね」
遥か昔、ある教司祭は戦地へ赴く若者の士気を下げぬよう結婚を禁じた皇帝の命に背き、密かに挙式を挙げ続けた。それが公となり、2月14日に教司祭は処刑される。若者の未来を案じた聖バレンティヌスを殉教者として祀られることになったのが、バレンタインデーの始まりという説もある。
彼の名において挙式を挙げた若者たちは皆感謝したであろうし、結果的にこの日に本懐を遂げたマルコとエースにとっても、バレンティヌスは縁結びの存在になると言えるだろう。性別なんぞ気にするようなケチな存在ではないとイゾウは思っていた。
手にした玉露を啜り、イゾウは満足げに笑む。這う這うの体でこれだけを淹れてベッドに逆戻りしたサッチも、そろそろ起こさなければならない。あんな程度で根を上げるなんて、海賊の風上にも置けない男だ。
今日の予定を反芻しながら子犬のように不死鳥にじゃれつく末っ子をもう一度眺め、イゾウは席を立った。
(おわり) -------------------------------------------- 2017バレンタイン
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