新学期に入りエースのシフトが通常に戻ると、マルコと顔を合わせる機会も減った。
決意どおり、エースは『グラディート』ではひたすら明るく振舞った。軽口を叩き、小突かれ、けらけらと笑う。たまにマルコの家に行き、自分を見失わない程度に酒を飲み、じゃぁと帰宅する。上っ面だけの付き合いにも見えたが、エースはそれでも満足だった。
あの男が『グラディート』にやってくるまでは。
「お、バイト雇ったんだ。儲かってんじゃねェかオーナー」
イレギュラーで入っていた水曜日。
ドアが開き、いらっしゃいませと振り返ったその瞬間に、全く遠慮のない声が飛んできた。
声の主はおよそ素人とは思えない姿の男だった。燃えるような赤い髪の毛に、左目をまたぐようについた3本の傷。しかしその瞳は力強く、魅せられた。
「きみ可愛いなァ。おれと付き合ってみない?」
「はァ!?」
素っ頓狂な声を上げたエースに、男は屈託のない笑顔を向けた。年上の女ならいざ知らず、今までに男に可愛いなどと面と向かって言われたことは……一度だけあるが、あれはノーカウントなので、ない。
「うん。すげェ可愛い。おれシャンクス。名前は?」
「え?あ?え、エース」
「エースか。いい名前だなぁ。なァ、エース。今度マジでお茶でも」
「てめェは何でじっと待てねェんだ。誰彼構わずナンパすんじゃねェよい」
「マルコ!」
いい加減困っていたときに見えた金髪に、エースは安堵の声を出した。今日のマルコはビシっとスーツで決めていて、いつもよりも数倍カッコイイ。そんな関係ないことまで思ってしまった。
「誰彼構わずなんてことはないさ。だってホントに好みだし。ね、後でメルアド教え」
「仕事の話をしねェなら帰れ」
「あ、うそうそ。マルコも愛してるって」
「うるせェ」
「もー。冗談だって。オーナー!いつものアレちょうだいね。おれスペシャル!」
店中に響き渡る声でサッチに声を掛けると、ふんふんと鼻歌を歌いながら奥のテーブル席へと向かった。
「……今日はイレギュラーかい?」
ぽかんと眺めていると、聞き慣れた穏やかな声が降ってきた。
「あ、うん。夜に予約が入っててさ」
「そうかい。騒がしくてすまないねい」
「ううん。なんつーか、すごい人だな」
「仕事上で切れねェ縁だよい。おれはコーヒーをくれよい」
「うん」
短いやり取りを済ませると、マルコはシャンクスがいるテーブル席へ行き、何やら打ち合わせを始めた。
2人の空気が変わったのは、あの男の気配で分かった。さっきまでのちゃらちゃらとした雰囲気などはなく、緊張感をはらんだそれに変わった。
ホントに何者なんだよ、とエースは狐につままれたような心地でカウンターへと戻った。
「シャンクスか?マルコの仕事関係らしいぞ。今は違うが、以前はパートナーだったらしいぜ」
あの男が"誰"ではなく"何"と聞くエースに答えながらせっせと仕事をするサッチの手は、ひたすら肉を焼いている。
「パートナー……か」
もちろん仕事の、だろうが、エースは心のどこかがざわりとした気がした。
「ほい、シャンクススペシャルな」
ほどなくして出された皿は夜の営業で使うステーキ用の鉄板で、上にはステーキ、ハンバーグ、チキンソテー、骨付きウインナーが所狭しと並べられていた。それに皿にこんもりと盛られたライス、そしてサッチ秘伝の(これも夜の営業用だ)コンソメスープ。
「……肉ばっかじゃん!」
裏メニューにしても豪華すぎる内容に、エースは声を上げた。
「だろ?あいつはいつもこれ。肉と酒で生きてんじゃねェのってぐらいだぜ」
年はマルコより少し若いぐらいだろうが、エースからすれば十分におっさんの男が食べるメニューではない。
おれだってこんなまかない食ったことない!と抗議すると、サッチはヒヒっと笑い、あとで同じの作ってやるから、と宥めた。
ほんとに何モンなんだよ、と思いながら、エースは危なげない手つきで重たい皿をトレーに乗せた。
「しっかし……シャンクスが来たってことは、あいつはしばらく店に来なくなるかもな」
エースの背中を見送りながら呟いたサッチの言葉はそのまま現実のものとなり、翌日からマルコは『グラディート』に顔を出さなくなった。
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