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執筆者の写真丘咲りうら

海上の宝珠 (ベックマン+サンジ)

大海原にぷかりと浮かんだレストランというのは、そうそうお目にかかるものではない。ましてやそれが屈指の名店となれば尚更だ。元海賊船の船長兼コックという奇妙な経歴を持つこの店のオーナーの腕は確かなものだし、自分のような強面(自覚はしているのだ)が訪れてもそれ以上に屈強な男たちが出迎え歓待する。もちろんマナーの悪い客は叩き出されて海の藻屑となるが、手の掛かる船長に日々振り回されているこの男、ベン・ベックマンがそんなヘマをするわけがない。東の海へ立ち寄ったときに1人でこの店へ来るのが、ベックマンの密かな楽しみだった。

まずは酒だ。海の上だというのに陸よりもラインナップが良いのは、オーナーの心意気だろう。魚介にあう手頃な酒をオーダーしアンティパストを肴にちびちびやっていると、この店の中では明らかに毛色の違う少年がこちらへ向かってきた。

「よう、また来てくれたんだな」 「ああ。近くを通ったからな」 「そりゃどうも」

客商売とは思えない短い挨拶を交わし、彼はベックマンの後ろのテーブルにオーダーを取りに行った。船長を連れて歩くときは賑やかなんてものではないが、1人の時は基本的に気配は隠して行動する。目立たぬように食事をしているつもりでも、相手も客商売。数度の来店で顔はもちろん酒と食べ物の好みまですっかり把握されてしまった。ああいうスタッフがいると店は繁盛するだろう。

「野郎はおことわりだっつってんだろうが!」

金髪が揺れ、次の瞬間には手癖の悪い客は彼の足技の餌食となり店の外へ蹴り出されていた。この店に馴染んでいる客はこの程度で動揺しない。もちろん、「こんな職業」を生業としているベックマンもその1人だ。いつもの光景に唇の端をわずかに上げ、食事を続ける。そろそろメインにしようとメニューを手にしたところで、一仕事を終えた少年がこちらへ向かってきた。相変わらず客の動きをよく見ているが、その表情は少し緊張していた。

「メイン、ですか?」 「ああ。おすすめはあるか?」 「あの……」

先ほどの威勢の良さとは対照的な躊躇をベックマンは受け入れ、静かに待った。

「良かったら、おれが作ったメインを試してくれま、せんか?」

思ってもない申し出に表情が変わった客を見て、少年が慌てて弁解を始める。

「その、ジジ……オーナーが、あんたならよく来てくれてるし、味も分かるし、その、適任だって。あ、でもイヤだったら断ってくれ。ちゃんとジ……オーナーが作ったのを出すから」

あれほど大胆に客を蹴り飛ばすくせに、自らを全否定するような言動を端々に感じる。彼の心の闇が彼自身を苛んでいるがベックマンには関係ないことだし、申し出を断る理由は全くなかった。

「それは光栄だ」

短い返事に、少年の表情が一瞬だけ明るくなった。やや興奮気味にメニューの概要を説明してバタバタと戻った先の厨房からは「埃が立つだろうがチビナス!」「うるせぇクソジジイ!」とまるで親子喧嘩のような声が聞こえるが、これも日常茶飯事だ。少々喧しいBGMを聴きながら、ベックマンは残った酒を飲み、寛いだ。

「お待たせしました」

ほどなくして、ベックマンの前にメインの一皿がサーブされた。真っ白な皿の中央にはソテーされた白身魚が盛りつけられ、薄切りにしたライムが添えられている一見何の変哲もない料理だ。しかし、今この場に出てくるには違和感があった。それを指摘することは簡単だが、いくら見習いとは言え彼がこんなミスをするとは考えにくい。何か意味があるのだろうと、ベックマンは白身魚にナイフを入れた。少し褐色を帯びたそれはほろりと崩れ、口に運ぶと想像とはかけ離れた何とも言えない風味が甘くほどけた。申し分のない鮮度と、シンプルながら完璧な味付け。見習いのシェフが出すものならば十分に及第点だ。それなのに少年の瞳はどこか怯えている。試作品を客に出すという大胆な行動を取っているのに、叱られることを十分に想定した瞳がベックマンをじっと見つめていた。

「冬が旬のこの魚を、この季節にソテーで出すとはな」

びくり、と少年の肩が震えた。その反応で、このチョイスが彼の意思であることを確信する。だが残念なことに、意地の悪い海賊は彼の期待に沿うような感想は持ち合わせていなかった。

「夏場のこれは、酷い臭みが出る。冬場でもソテーするにはリスクがあるので一般的にはフリットにする魚を、敢えてソテーで出した。何かあるだろうと思ったが、まさかここまで洗練したものが出るとはな」

信じられないと言った顔で己を見つめる少年に、ベックマンは容赦なく指摘をした。

「……ルイボス、だな」

驚きと喜びと、そして少しだけ滲む悔しさが、少年の表情を一変させた。ややあって彼は頷き、口を開いた。

「……時々、網に引っ掛かるんだけど、どうしても無駄にしたくなくて。でも色々やってもうまく行かなくて、ある時お客に出したルイボスティーの残りに浸してみたら臭みが消えたから、それで」 「理にかなった調理法だ。まだ若いのによく見つけたな」

 誇らしさと、それを上回る承認欲求を満たしたの少年の表情を、ベン・ベックマンは一生忘れることがないだろう。

「旨いものを食わせてもらった。ありがとう」

食べ物への敬意を払える料理人がいる船は、きっと繁盛する。それがたとえ海賊船であろうとも。 代金を固辞する少年に「当然の対価だ」とコインを握らせ、腹も心も満たされた海賊は店を後にした。

「いや~。まいったまいった。おやっさん、相変わらず厳しいなァ」

 店を出たベックマンを出迎えたのは、頬に盛大に棒のようなもので殴られた跡をつけた我が海賊団の船長、シャンクスだった。

「一体何をやったらそんなところを蹴られるんだ」 「別に普通だぜ? 積もる話でもしようと思って厨房のドアを開けたらこれさ」

いかついウェイターに門前払いをされていたというのに(当然気配で察知していたが、食事の時間を台無しにしたくなかったので敢えて無視していた)この男は全く諦めずに店内への侵入を試みていた。まだ駆け出しとはいえそこそこ顔も名前も売れてきた赤髪海賊団の長と認識している彼らには、想定内の行動だったのであろう。

「おまえだけ旨いモン食ってるなんて狡いだろ。何で教えてくれなかったんだ」 「おれのささやかな楽しみを奪われたくなかっただけさ」 「ベンちゃん酷い!」 「おとなしく待っていればいいものを」 「おれにそんなことが出来るとでも?」 「油紙よりも薄い、おれの個人的な希望だ」

相棒の達観した答えに、シャンクスはわははと笑った。店内では控えていたタバコに火をつけて煙を吐き出す副官からそれをもぎ取り、肺の奥まで吸い込んだ。

「……赫足のゼフは健在だな」 「ああ」 「それにあのチビ、ただ者じゃないぞ」 「ああ」

長らく消息を絶っていた赫足のゼフが開いた海上レストランには、確かな味と共に思わぬ収穫があった。

「一体どういう経緯でここにいるのかは知らねェが、近い将来に派手なドンパチが起きそうだ」 「楽しそうだな」 「当たり前だろ。海賊だぜ?」

向けられた視線は、この先の遠い未来をしっかりと見据えている。海賊というこれ以上ないほど行き当たりばったりな生き方をしているくせに、決して未来を捨てないこの男の生き方に、ベックマンはこの先も翻弄されることを望むだろう。

「さ、行こう。ルウたちがお待ちかねだ。遅くなったから、酒でも買って帰るとするか」 「あ、やべ。ヤソップに買い物頼まれてたんだった」 「またあんたは。ヤソップに小言を言われるのはおれなんだから勘弁してくれ」 「だからおれにはおまえが必要なのさ、ベック」

瞳の奥に闇を潜めた少年の未来が輝くことを小さく祈り、四皇を目指す船長と副官は次の航海へと向かった。

(おわり)

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