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執筆者の写真丘咲りうら

海の男たちの歌

夜明けだ。

 静かに波打つ闇の中でその気配を感じた。ほどなくして地平線がうっすらと光り、やがてきらきらと輝きを放ち始めた。光の粒を纏った太陽が厳かに浮かび上がる。海と太陽。何者も敵わない両者が日に2度だけ交わるその瞬間を、敵船の甲板で見るのはもう何度目だろう。

 その姿が全てを現す頃、この船は活動を始める。

「起きろ野郎ども! 朝だぞ!」 「うえぇえ。飲みすぎた」 「ギャハハハ! てめェいい年して寝ションベンかよ」 「飯だ飯!! 腹が減って死にそうだ!」 「そんなモンで死ぬタマかよ、てめェが」

 どやどやと荒くれ共が姿を現し、甲板はたちまち喧騒に包まれた。

「よォ、エース。今日も甲板にいたのか」 「部屋にゃ、おまえの寝床もあるんだぜ。雑魚寝だけどよ」 「マスは掻けねェがな」 「ギヒヒヒヒ! そりゃァお互い様だ」 「あ~、陸が恋しいなァ」

 男たちは皆、まるで家族のようにエースに声を掛けていく。この男が自分たちの"父"を狙っているということを知らないかのように。その態度は、よそよそしくないがウェットでもない。全てはおまえ次第だと、誰の背中もそう語っていた。

 1600人を超える海賊団だ。どうしようもない輩ばかりだが、白ひげという偉大な男を尊敬する気持ちは皆同じだ。その忠誠心に沿ってそれぞれが各自の持ち場につき、その日の任務を全うする。男たちのように荒くれだった海の上でも彼らは陽気に歌い、笑う。大所帯になればなるほど統制が取りにくい輩たちを取りまとめるのは、その人数に対しては割合が低すぎる十数名の隊長達だ。その中でも一番白ひげに近いと言われている特長的な頭をした男がエースの目の前に現れた。

「飯、持って来たよい」

 白ひげの首を獲る以外では決して船内に入ろうとしないエースの為に、彼は毎回食事を甲板へ持ってくる。差し出されたそれを黙って受け取り、かっ込んだ。 「別に取りゃしねェ。ゆっくり食えよい」  まるで野良猫に餌付けをするようにゆったりと距離を置いてエースを見つめる男を、別の男が冷やかした。こちらも随分と特徴的な髪型をしている。

「毎度毎度、ご苦労なこって」 「おまえほどじゃねェよい」 「ヒヒ。こいつが気になるのはおまえだけじゃねェってことだよ。おらエース。さっき焼きあがったベーグルだ」  ほいと投げられたまだ温かいそれを器用に受け取り、食べ終わった皿を甲板に置いてすかさず齧りついた。 「おー、相変わらずいい食いっぷり。一体その細っこい身体のドコにそんだけ入るのかねェ」 「うるへェ、リーゼント」 「お、喋った。今日はご機嫌だな。エース」  返事の代わりにぶん投げられたベーグルの包み紙を難なくキャッチし、リーゼントヘアの男はヒヒっと笑った。

「おまえさァ、いい加減仲間になれよ。隊長の間では、誰がおまえを部下にするかってんでもうモメてんだぜ?」 「おれは白ひげの首を獲るんだ」 「へェへェ。それ無理だって。マルコも散々言ったろ?」

 まったく意固地な青年に、2人の男はやれやれと肩をすくめた。おそらくエースの気持ちはこちらに向いているのだが、彼の性格上、素直になれない何かがあるのだろう。あともう一息、何かのきっかけがあれば彼は動く。その時を気長に待とうと、隊長達の間ではまとまっていた。距離は確実に縮まってきているのだ。場所は違えど同じ食事を口にし、機嫌がよければ口もきいてくれる。背中の毛を逆立てながらも徐々にこちらへと歩み寄るその姿が、男達には物珍しく、また愛しい。

 そんな平穏な日常を破ったのは、ある報告だった。

「……マルコ隊長、ちょっといいですか」 「どうしたい」

 部下の呼びかけに男が答えた。ふっと緊張を孕んだそれに、周りの空気が張り詰めた。エースも、ただならぬ気配を感じた。

 暗闇の中、鯨の鳴き声が響き渡る。悲しげで恐ろしげな、泣き声。

「……ひでェことしやがる」

 サッチの口調には悔しさと憤怒が滲み出ていた。

 マルコの部下が持って来たのは、近隣の海域で傘下の海賊船が全滅したという報告だった。モビー・ディック号はその機動力を活かし全速前進でその場所へ向かったが、到着した時には日は暮れ、あたりは再び闇に包まれていた。

「武器も食料も何もない。おそらく無抵抗だったろうに、根こそぎ奪った挙句に砲弾をブチ込みやがった」

 ギリリ、とサッチは歯を噛み締めた。そこには朝の陽気な彼はいない。

 暗闇の中でもその惨状は目を覆いたくなるものだった。四方に散らばっていた乗組員全員の骸を引き上げ、各々の作法で御霊に哀悼を捧げる。静かな夜だった。その輪の中に入っていないエースが静かに胸元で拳を握ったのを、サッチは見ていた。  やがて彼らを弔う時間がきた。一人ずつから遺品を選び、骸を小船に乗せる。松明を持って小船へ向かおうとしたサッチを止めたのは、エースだった。何か言葉を発するわけでもなく、じっと見つめるエースに、サッチは泣きそうな顔でくしゃりと笑った。

「……頼む、な」

 エースはそんなサッチからふいと目を逸らし、その身を炎に変えて小船へと移った。ふわり、と甲板に炎が浮かぶ。まばゆいばかりに辺りを明るく照らしたそれは、まるで生き物のようにゆっくりと小船に近づき、優しく包んだ。静かに燃えるその炎を、皆で見守った。鯨の鳴き声だけが、彼らを弔うように響いていた。

 再び闇に包まれた頃、メインマストが青く光った。エースにはそれが何の光か分からなかった。

「見つけたよい」

 しばらくして現れたのは、マルコだった。表情は穏やかだったが、青い瞳は燃えていた。

「最近力をつけてきている海賊だ。海賊だけでなく民間の船も襲って、女子供は奴隷市場に捌いているクズ野郎の集まりだ。東の海域に向かっているから、おれたちもこのまま追いかけて、明け方に奇襲を掛ける。オヤジも承諾済みだ」

 その声に、男たちは雄叫びをあげた。

「おおお!! 容赦しねェぞクソ野郎ども!」 「あいつらの敵、絶対取ってやる!!」 「首を洗って待ってろよ、クズ野郎!!」

 怒号が聞こえる甲板に背を向け、エースは歩き出した。途中、マルコとすれ違い、目が合った。

「……おまえが、弔ってくれたんだってねい。サッチが喜んでたよい」 「別に……そんなんじゃねェよ」 「あの中には、サッチが可愛がってた若造が乗っててねい。おかげで冷静になれたと言っていた。おれからも礼を言わせてくれ。ありがとう」 「……っ」

 何のためらいもなく礼を言うマルコに、エースは何も答えず走り去った。この船の男達は皆どうかしている。親玉の命を狙っている男に、何故ここまで心を許せるのか。エースには全く理解出来なかった。

 また、夜が明ける。

 昨日と同じ、静かな朝だった。しかしそこには、並々ならぬ緊張感が漂っていた。張り詰めた空気の中、エースはただ静かに立っていた。

「エース」

 普段と全く変わりないマルコの声に、エースは視線を上げた。

「加勢してくれとは言わねェ。ただ、自分の身は自分で守れよい」 「……余計なお世話だ」 「そりゃ、悪かったねい」

 クツクツと全く緊張感のない笑い声を上げ、マルコは船首へと向かった。彼が振り返ったと同時にぶわりと噴き上がった覇気に、エースは本能的な何かを感じた。

「全力で叩き潰せ!!」

 男達の戦いが、始まった。

 敵船で、モビーで、死闘は繰り広げられた。敵からすれば、エースもこの船の仲間に見えるのは致し方ない。自分に向けて繰り出される攻撃をエースは難なくかわし、能力は使わず、致命傷を与えない程度にナイフで切りつける。その後白ひげのクルーによってとどめを刺されているのは、エースには関係のない話だ。確かに力がある賊だが、この海に名を轟かせている白ひげ海賊団の本隊の総攻撃ともなればひとたまりもない。次々に相手は減っている。しかし、日頃から悪行の限りを尽くしている連中だ。卑怯さでは彼らの方が一枚上手だった。

「……っ!?」  妙な気配に後ろを向くと、エースの後方で剣を振るっているサッチに向けて、マストの影から銃口が向けられていた。考えるよりも先に、身体が動いた。

「火銃!!」

 鋭い炎は男に目掛けて一直線に進み、男が撃ち放った弾丸ごと業火で焼き尽くした。断末魔の叫びすらなく海へと落ちていく炎の塊に、ヒュウとマルコが口笛を吹いた。

「やるねい」  敵に容赦ない蹴りを繰り出しながら、にやりと笑った。

「エース! 助かったぜ!」  追い抜きざまにエースの頭をくしゃりと撫で、サッチはひらりと敵船に乗り移り、瞬く間に敵を仕留めた。敵の戦意が喪失したモビーの甲板で、全くの無意識で反応してしまった自分の手を、エースはじっと見つめた。

「そこまでだァ!!」

 突然、地を揺らすような声が轟いた。

「オヤジ!!」 「オヤジィ!!」

 船首に立っていたのは、エドワード・ニューゲートその人だった。その体躯に、その瞳に、そして逃げ傷がない美しい背中に。エースは自分などちっぽけな存在だと感じざるを得なかった。その威圧感に数少ない敵の男達は腰を抜かさんばかりにあたふたと船に戻り、一目散に退いた。

「オヤジ、追わなくていいのかい?」 「なァに。あいつらもバカじゃねェ。このままおとなしく陸で堅気になってりゃ、もう会うこともねェだろう」  グラララと楽しそうに笑い、彼は"息子"たちを見渡した。

「おまえらよくやった! あいつらの敵は取った。今日は存分に飲め!」

 父の勝どきに、息子たちは雄叫びを上げた。

 勝利の美酒に酔いしれるモビー・ディック号のマストの上で、エースは一人考えていた。  あの広い背中を見た瞬間に、何かが見えた。その何かを、"彼"に伝えなければいけない。理屈ではない何かが、エースを突き動かした。

 甲板に降り立ったエースを迎えたのは、マルコだった。

「……オヤジなら、部屋にいるよい」

 その瞳を見て、エースはにやりと笑った。 「……ああ」

 迷うことなく父の部屋へ向かう"弟"を、彼らは歓迎した。

「新入りは便所掃除からだぞ」 「鍛え甲斐があるな」 「仲間の印に、上陸したら花街に行こうぜ」 「バカ野郎、てめェと一緒にすんじゃねェよ」

 どっと笑い声が起きる甲板を眺めるマルコの横に、隊長たちが酒を持ってやってきた。

「やっとカタがついたか。手こずらせやがって」 「まったくだよい」 「あいつは間違いなく人気者になるな」 「なァに。とっくの昔に家族だったさ」 「それにしてもサッチ、おまえアレは露骨すぎだろ」 「あ? バレた?」

 サッチを狙っている輩がいることは、本人はもちろん、その場にいた隊長格は全員気がついていた。誰もがあの男を狙っていたが、一瞬早く動いたエースが仕留めただけの話だ。 「だってよォ、エースくんったら全然懐いてくれねェんだもん。サッチ寂しいと思って」 「は、言ってろ」 「それにしても、あの瞬発力と判断力は天性のものだな」 「ああ」 「まだまだ伸びるねい」 「こりゃァ、本格的にエース争奪戦になるな」 「ヒヒ。じゃァ、明日からの"戦い"に備えて、今夜は飲みますかァ!!」

「可愛い弟に!!」

 高く掲げられたグラスに、全員が野太い声で倣った。

(おわり)

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