海賊のくせに惰眠を貪るという贅沢を味わえるのは、乗っているのが千五百人をゆうに超える大所帯かつ組織運営がきちんとなされているからに他ならない。人数が増えれば増えるほど統括が難しくなるのは、どこの世界でも同じだ。白ひげ海賊団は、偉大な父の統率力と優秀な息子たちがその均衡を保っている。
四番隊が非番の朝。たまさかの贅沢を自室のベッドで味わうサッチの気分は、天国にいるようだった。
「これで綺麗なおねーちゃんが両脇にいたら、言うことねェのになァ」
一度起こした身体を再びごろんと転がし、大の字になって戯言を言う。ここは大海原のど真ん中で、船内にはむさ苦しい家族と、そこらの海賊外道よりも腕が立つ上に辞書から「容赦」という言葉を抹殺してるナースたちしかいない。上陸予定はまだまだ先で、女を抱けるのは遠い未来だ。
「あー。女抱きてェ」
これだけ抑制された生活を送っているのだから上陸した時ぐらいは羽目を外したいのに、サッチは幾月も女を抱くことなく過ごしている。だが、欲だけで言えばその必要は全くない。なぜならサッチのタンクは、毎晩毎晩空になるまで搾り取られてる。
「ヌイてくれるのはいいんだけどよー、掘るのは勘弁してほしいよなァ」
繰り返しになるが、この船にはむさ苦しい野郎と、手出しをしたら殺されるナースしか乗っていない。では誰がサッチのタンクを空にしているのかと言えば、物好きな家族がいるからに他ならない。どういった形であれ欲を晴らす相手がいることは恵まれているのだろうが、サッチとて男。たまには自慢のマグナムをぶっ放したいのに、それが叶えられたことはない。
「イゾウちゃん、絶対ボトムに回ってくれねェからな」
家族であり大切な仲間でもある十六番隊隊長のイゾウは、何を思ったのかサッチに猛烈にアタックをし、ほぼゴリ押しの状態で恋仲になった。しかし性癖は決してボトムに回らない所謂バリタチというやつで、彼よりもかなり屈強なサッチを組み敷いては毎晩啼かせている。変なところで勤勉なイゾウは、サッチの開発に余念がなかった。それだけでは飽き足りず、昨晩はこんな恐ろしいことを口にしていた。
「おれが二人いたら、あんたを存分に愛してやれるのにな」
冗談じゃない。一人でも持て余しているのにあんなのが二人もいたら、それこそ身体がもたない。いやしかし、もしかしたら一人ぐらいは騙してボトムに回せるのではないかなどと、朝勃ちを持て余しながらぼんやりと考える。まったく、毎晩空っぽにされているのに何でこいつは勃つんだと思うものの、可愛い息子のいじらしさを感じてサッチは朝から一発抜いてしまった。
「……腹減ったァ」
非番でも腹は減るのだ。射精後の気だるさに首を振り、サッチは身支度を整えた。朝食の時間は過ぎているので、キッチンを借りて何かを作ろうと軽く考えながらラウンジへ向かった。
「ん? なんだァ?」
ボリボリと腹を掻きながら入ったラウンジの一角に、人だかりができている。おおかたエースが飯を食いながら寝て、マルコが「食っちまおうかねい」などと愛でているのだろうと気にしなかったが、輪の中にいたのはエースではなかった。その証拠にサッチに気付き「サッチ! 大変なんだって!」と強引に輪の中へ引っ張って行ったのは、可愛い末っ子だ。
「あのねー、サッチさんは非番なの。面倒事は今日の当番で……んん?」
サッチは目をごしごしと擦った。目の前には、昨日も散々弄ばれた美丈夫が、二人いる。
「……イゾウ、ちゃん?」
二人の男は、同時にこくりと頷いた。
「何でイゾウちゃんが二人になっちゃったわけ?」
「おれが聞きてェよい」
サッチの疑問を一蹴したのは、我が海賊団きっての切れ者、マルコだ。不寝番の彼は、日勤に当たっている十六番隊隊長に申し送りをしたらこのまま明け休みに入れるはずだったのに、その相手が二人いてはおいそれと休めるはずがない。
「どっちかがそっくりさんとか…?」
二人揃って首を横に振り否定する仕草は、まるで双子だ。
「朝起きたらこうなっていた。世の中には相手そっくりに化けることができる能力者がいると聞いたことがある。だが残念ながら、どの方法を試しても実力は互角」
「甲板で撃ち合いもしたが、モビーが穴だらけになると止められた」
「だろうな」
もし本当にイゾウ本人が二人いるとなれば、いくら屈強な造りのモビーといえど運航に支障をきたしかねない。
「エース、おまえさんはどう思う?」
野生の勘が冴えている末っ子に判断を仰ぐ。エースは「うーん」と頭を掻き、答えた。
「どっちもホンモノ、だと思う」
「そっかァ」
エースのこの手の直感は、サッチは信じることにしている。だからと言って解決方法が見出せるわけではないのだが。
「あったぞ」
そこへ、古い文献を手にしたビスタがやってきた。輪の中でそれを広げ「ここだ」と指を指す。
「本日未明に進入した海域だ。旧い言い伝えで『ただ一人の願いを叶える呪い』があると書いてある。それは肉体的な願望を叶えるもので、ある者は筋骨隆々の猛者になったり、絶倫になったり、はたまた絶世の美女に変身したりしたそうだ」
「じゃぁ、イゾウはその一人に選ばれたってこと?」
「しかも願望が、分裂」
「でも、呪いってどういうことだ?」
皆が口々に疑問を出す中、ビスタは自慢の髭に手をやり、続けた。
「そこが呪いだ。ここは海のど真ん中。一人で航海することは不可能に近い。ということは必ず仲間がいるということで、ただ一人に選ばれなかった他の乗組員からやっかみを受け、やがては仲間割れに発展する」
「なるほどなァ」
「これ、戻らねェのかな?」
「肉体の変化は一時的なもので、おそらく海域を抜ければ元どおりになる」
「ってことは、明日の朝ぐらいまでは、イゾウが二人いるのか。十六番隊って、今日は何だっけ?」
「演習だな」
「うわー、鬼イゾウが二人いるのか。ゴシュウショウサマ!」
エースが明るくお悔やみを口にする。数々の海を渡り歩いてきた猛者達には、この世の不思議など大したことがない。命に別状がないなら問題ないと男達はあっさり現状を受け入れ、散り散りに去っていった。残されたのは、十六番隊隊長二人と、全く話について行けず置いてけぼりにされた非番の四番隊隊長だ。
「……目の保養にはなるけどよ」
「ふふ。分身の術みたいでなかなか面白い。どうせ海域を抜けるまでの間だ。せいぜい楽しむさ」
そう言うと、白ひげ海賊団の誇る美丈夫二人は、演習の準備をすべく揃って甲板へと向かった。
「サッチ隊長! 助けてください」
メインマストの下でニュース・クーに目を通していたサッチの元に、満身創痍の十六番隊の隊員数名が転がり込んでいた。揃いも揃って瀕死の状態だ。
「おれたち、殺されてしまいます」
「隊長一人でもヤバいってのに、全く同じ人間が二人もいるんですよ!?」
「海域を抜ける前に、隊員が減っちまいます!」
「……って、おれに言われてもなァ」
目元の傷を掻き、サッチは困惑した。確かに、感じ取れる気配はいつもの十六番隊演習の気迫を遥かに凌駕している。ただでさえ一番厳しい演習を行っている隊だ。彼らが言うように死者が出てもおかしくない。
「……っと。五人目の医務室送りが出たな」
呑気に答える四番隊隊長に、彼らは「マジで勘弁してくださいよ!」と泣きついた。
「イゾウがおれの言うことを素直に聞く奴じゃないのは知ってるだろ?」
「何か食い物で釣ってくださいよ! 今日は非番んだから暇でしょ!?」
「おまえらね、隊長捕まえて暇とか言うなよ」
そうは言うものの、このままでは隊員が全滅ということもあり得る。以前イゾウは「複数の敵との演習が不足してる。隊の連中でおれとバディを組める奴が居ないから、敵が複数にならないんだ」と言っていたことを思い出した。そんな彼に頼まれて何度か演習フォローをしたことがあるが、確かに複数演習の時のイゾウは生き生きとしている。(隊員達の顔色は反比例しているが)。互角どころか全く同じ能力を持つ相手とバディが組めたら、楽しくて仕方がないだろう。
時刻はもうすぐおやつの時間だ。頼ってくれる可愛い家族の為に一肌脱ぐかとサッチは立ち上がった。
「おーい。差し入れだぞ~」
地獄の底にいた十六番隊隊員にとっては、神の天啓よりもありがたい声が聞こえてきた。
「サッチ隊長!」
「神の助け!」
「リーゼントが眩しいっス!」
そのままばたりと倒れ込んだ隊員達のそばに「んだよ、だらしねェな」と言いながら籠の中のマフィンを置いてやり、輪の中央にいる隊長たちの元へ向かう。
「よっ。そろそろお茶でもしない?」
「ナンパにしては精度が低すぎるな」
「せっかくノってきたところだったのに」
「よく言うぜ。最初から絶好調だったくせによ。ほい、差し入れ。少し休ませてやれ」
「ったく、あんたは甘いな。……少し休憩だ!」
隊長の鶴の一声で、隊員全員がその場に崩れ落ちた。残念だが、誰もマフィンには辿り着かないだろう。イゾウは優秀な隊長で部下の教育にも力を入れているが、時々度を越してしまう事がある。そんな時は、死者が出ないうちに他の隊長がそれとなく演習に入ったり声を掛けたりしていた。その頻度は、サッチがダントツで多い。
「……うまい」
二人揃って茶を啜る姿は、何とも艶やかで。隊長用に拵えた三色団子は口に合ったらしく、黙々と食べている。短くも楽しい、休憩時間だ。
「久しぶりに身体を動かした」
夜。我が物顔で部屋に入り込み、満足げに盃を傾ける客人達に、サッチは「そうだな」と相槌を打つしかなかった。
「近年稀に見る、生き生きした顔だったぞ。その分部下達は大変だったが」
「あれぐらいで根をあげるなんて、あいつらもまだまだだな」
艶然と笑むイゾウは見た目こそ美しいが、その内は修羅を飼っている。あいつら、明日の朝には回復するといいなァとサッチは密かに願った。
「確かに呪いだよなァ。そろそろ一人に戻って貰わねェと、脱走者が出るぜ」
「はん。うちの隊に、そんな甘ったれた奴はいないさ」
「その範疇を超えてるんだっての。あと、酒代で財政破綻しちまう」
ウワバミが二匹いる状態なので、減る酒の量も二倍、いや、相乗効果でそれ以上だ。
「それにしても、おまえさんの願望が『もう一人の自分』とはね。意外だったぜ」
自分の信念と意思を誰よりも貫く彼は、自分こそが唯一無二の存在と信じているとサッチは思っていた。ちなみに、彼と恋仲であるサッチにもそれは求められている。だから浮気など到底許されるわけがない。
「別に願ったわけじゃない。朝起きたら二人居ただけだ。だが悪くはないな。演習はいい形で出来たし、それに」
二人のイゾウはおもむろに立ち上がってサッチが腰掛けるベッドの両脇に座り、言った。
「あんたを存分に愛してやれる」
「……おまえ、まさかそれを望んだんじゃないだろうな」
「まさか。不可抗力さ」
「じゃぁよ、二人いるなら、一人はボトムに回ってみたりしてみない?」
「寸分違わず同じ人間のどちらかが、そんな提案に乗るとでも?」
「……ですよねぇ」
サッチの夢は一瞬にして霧散した。
「おれが二人居たらイヤか?」
こういう一面が狡いのだ。普段は不遜が着物を着ているようなくせに、二人になるといつもと違う表情を見せる。それが狡くもあり、また「おれだけに見せる一面」というステータスをサッチに植え付けて離れなくさせるのだ。
「イヤじゃねェけどよォ。ほら、何て言うんだっけ?贅沢しすぎて大騒ぎってやつ」
「盆と正月が一緒に来た?」
「それそれ。そんな感じ。バチがあたりそうだ」
差し障りのない返事をするサッチに、イゾウが焦れた。
「呪いを解くのは、王子様のキスと相場が決まっている」
ずいと寄ってきたイゾウたちの何と麗しいことか。だが美しい薔薇には棘があるように、見た目で判断すると痛い目に遭う。
「王子様は、他のお姫様にご執心かもしれねェぜ?」
「なら、二度とよそ見ができないようにしてやるさ」
隊長でも恋人でも、一人でも持て余す相手を二人も抱えるのは、並大抵のことではない。
サッチはどさりと仰向けに寝そべり、言った。
「しょうがねェなァ。二人まとめて相手してやるよ」
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