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執筆者の写真丘咲りうら

T-risk

「サッチィ、これやる」

 酒瓶を持ってきた末っ子に、サッチは「あン?」と振り返った。手渡された瓶のラベルにはシンプルに「T」と記されている。

「こないだの戦利品の中に入ってたんだけどさ、なんつーか薬っぽい匂いがするから苦手だ。一番大事そうなところに置いてあったからうまいと思ったのに、全然うまくねェ。これ酒じゃねェの?」

 健康優良児のエースは、病院を連想させるものすら苦手らしい。蓋を開けて香りを嗅ぐ。確かに薬品の匂いに似ているが、この香りにサッチは覚えがあった。

「あ~、こりゃスコッチだな。しかも島モンの。匂いがキツいから好き嫌いが分かれンだよ。おれも嫌いじゃねェがなァ」

 ウイスキーは世界中で作られているが、スコッチと名がつくのはある地域のものだけ。その中でも限られた島で醸造されるスコッチはヨード臭が強く、スモ―キーだ。好きな人間はその力強さがいいと言うが、嫌いな人間はエースのように薬品臭いとまで言う。酒場でスコッチ談義が始まると、論争から喧嘩になるのは日常茶飯事だ。サッチは飲めないわけではないが、あまり好んでは飲まない。それにこのスコッチは時折手に入るものとは違って随分と香りが強い。というより、強烈だ。ここまでキツいとさすがに厳しい。どうすっかな~と思っていると、三度の飯より酒が好きな二人がラウンジに入ってきた。

「おーい! マルコ、イゾウ! おまえらの好きそうな酒だぞー!」

 酒と聞いて邪険にするような二人ではない。「なんだよい」「声がでけェ」と文句を言いながらもこちらへやってきた二人に、酒瓶を渡した。

「ほぅ、スコッチじゃねェかい」 「島モンかい? それにしてもかなりスモーキーだな」

 それぞれが味見をして「こりゃいいねい」「ああ、なかなかイケる」と評した。どうやら行先は決まったらしい。

「良かったなァ、エース。今度この二人に肉でも食わせてもらえ」 「おう!」

 ニカっと笑った末弟からのプレゼントを兄たちはありがたく受け取り、そのまま急ごしらえの宴が始まった。

「サッチ」

 片付けを終え、軽く飲んで寝るかと厨房を出たサッチをイゾウが呼び止めた。艶やかな笑みを浮かべているところを見ると、どうやらご機嫌らしい。

「まだ飲んでたのか? そろそろ寝ないと明日に響くんじゃねェの?」

 酒が気に入ったのは結構だが、あと少しで日付が変わる。「肌のコンディションが悪くなンだよ」と夜更かしを好まないイゾウにしては、ずいぶんと宵っ張りだ。サッチの心配をよそに、伊達男がちょいちょいと手招きをする。何というか「らしくない」のだが、サッチはさして気にせず近寄った。その瞬間

「うわ……! おま、ちょ……! っん……!!」

 獲物が射程範囲内に入った途端にイゾウの着物の袖が伸び、そのまま抱き寄せて強引に唇を重ねた。暴れるサッチをものともせずに好きなだけ味わう。

「……っ! こら、……んぐ……、っ……! やめ……っ、やめなさ……っ!!」

 酸素補給のために時折離してやる唇からは悪態しか出ない。そんな説教は要らないとばかりにイゾウは唇を塞ぎ、舐め回した。やがて、どん、どん、とサッチの力ないフォールにようやく満足して解放したころには、サッチは文字通りクタクタになっていた。

「ぶはっ……! おま、殺す気か……!」

 ゼェゼェと息を切らすサッチに、イゾウは「そんな程度で死ぬタマかよ」と答える。危うく窒息死するところだったのだが、この男は加減と言うものを全く分かっていない。

「何なんだよ、急に」 「キスしたかっただけだ」

 平然と答えるイゾウに、サッチは違和感があった。確かにイゾウとは"そういう"仲だったりするが、どちらも公言したりはしていないしする必要もないと思っている。いくら人が減ったとは言え、まだラウンジには多くのクルーが酒を酌み交わしている。イゾウはこんな場所でそういうことをする人間ではない。何かがおかしい。  考え込もうとするサッチに、再び着物の袖が伸びてきた。ぎゅう、と手を回してきて離れようとしない。さながら、大木にしがみついたコアラといったところか。

「こら、どうしたってんだよ」 「あんたは、おれのモンなんだからな」

 普段こういうことをあまりに口にしないイゾウからこのようなセリフを聞けるのは大変に喜ばしいことだが、正直に言うと普段とのギャップがありすぎて戸惑ってしまう。普段と何が違うのかと必死にあたりを見まわしたサッチの目に留まったのは、先ほどの酒瓶だ。ほとんど満タンだった中身が、見事に空になっている。

「おまえ、これ飲んじまったのか?」 「ああ。マルコと一緒にな。いい酒だなァ」

 ご機嫌に酔っぱらうイゾウに、サッチは確信した。そう、イゾウは酔っぱらっている。見た目は全く変わらないが、「ザル」とか「ワク」とか、むしろ「ウワバミ」だと囁かれている、あの麗しの16番隊隊長が酔っぱらっていた。どんなに強い酒でも酔わないイゾウを酔わせるとは恐ろしい酒だ。

「サッチィ……」

 そこに、可愛い末っ子の弱気な声が聞こえた。拘束されたままぐりんと首だけ動かすと、エースがマルコに「壁ドン」されていた。そんな可愛らしい表現ではないほど肉薄した距離ではあったが。

「マルコが変なんだ。助けてくれよ、サッチ」

 獣の耳があればぺたんと寝ているであろうエースの声は、限りなく情けない。それとは対照的に、獲物を捕らえた不死鳥のなんと雄々しいことか。エースの耳を食む勢いで近づき「エース、可愛いよい。食っちまいてェよい」と囁いている。

「あ~あ……。あれも完ペキに出来上がってんな」

 自分の置かれた状況を棚に上げ、サッチは嘆息した。これまた非常に分かりにくいのだが、マルコと付き合いの長いサッチにはすぐに分かった。彼もしたたかに酔っている。マルコがエースにご執心なのはエース以外の全クルーが知っているが、それでもここまであからさまに詰め寄ることはなかった。色んな意味で理性が吹き飛んでいるであろうマルコからエースを守る自信はない。というか、自分のことで精一杯だ。

「な、イゾウさん? 分かったから離してくんねェかな? ちィとエースくんを助けたいんだけど」

 そうは言っても自分が行かないことには収まらないだろうとイゾウに提案してみるが、切れ長の瞳がすっと細められたところを見ると却下されるらしい。

「何かあればエースエースって。おれよりもエースの方が好きなのか?」 「そうじゃねェって。ほら、あれ見てみろよ。完全に食われちまうだろ」 「おれはあんたを食いてェ」 「そんなこと話してねェよ!」

 漫才を繰り広げている間に、不死鳥がエースを組み敷いていた。おいおい、ここでおっぱじめるのかよと思わず成り行きを見守ってしまう。マルコがニィ、と笑った。

「無防備なおまえを見てると肝が冷えて仕方ねェよい。いつサッチあたりにかっ攫われちまうか心配でしょうがねェ」 「やっぱりアンタ、エースのことを……!」 「だー! 落ち着け! おれを巻き込むな! 完全無罪だ!」

 この酔っ払いたちをどうにかして欲しい。サッチは真剣に神に祈った。

「大事にしようと思ってたが、もう限界だ。エース、おまえの童貞、おれに食わせろよい」 「~~~~~~~!!!!!」

 真っ赤になったエースから炎が迸るが、すかさず青い炎が押さえこむ。その様子に、サッチは「南無三……」と唱えた。

「エース、童貞だったんだな」 「見りゃ分かるだろ」 「や、確証が持てなくてな。しかもあいつ、ボトムに回る気かよ」 「マルコはそうだろ。何眠たいこと言ってやがる」

 こちらも普通に答えられて、サッチは脱力した。もう、今晩は何が何やらわからない。

「待てよい!」

 一瞬の隙を突いて、エースがマルコの下から逃げ出し、炎へと姿を変えてラウンジを出ていった。捕まるのは時間の問題だろうが、家族ばかりとはいえ往来の面前で童貞であることをばらされたエースには、同情するしかない。

「さてと。おれたちも寝るか」

 不敵な笑みを浮かべるイゾウに、サッチは逆らう気力がなかった。

「へいへい。途中で中折れとかしたら、承知しねェからな」

 今更手遅れだろうが、自分たちだってこれ以上家族の前で恥を晒すわけにはいかない。いっそすべて夢であってほしいと願いながら、サッチは歩ける酔っ払いを部屋へと連行した。

 翌日、あの酒が非常に稀な類のスコッチだということを、酒マニアでもあるラクヨウから聞いた。元は普通のスコッチだが、ある特別な醸造所でさらに熟成させたものだけがあの独特の風味を纏うらしい。その特有の香りが普段酔わない者をも惑わすことから「魔性の酒」とも言われ、そう簡単に市場に出回るものではないとのことだった。  出来ればこの先、一生出会いませんようにと祈り、サッチは「T」のラベルが付いた酒瓶をモビーから海へと流した。

(おわり) ------------------------------------- スコッチ系は、苦手な人からすればヨー○チン×の匂いがするそうです。

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