決して広いとは言えないシャワールームの、それも二枚のパーティションだけでしか仕切られていない空間に、明らかにシャワーの音ではない水音が響く。自分の股間から聞こえるそれは、足の間で揺れる黒い長髪の持ち主が奏でている。まるで美食の粋を頬張るような仕草に、サッチはため息をついた。酒の勢いに出来たらどれほど楽だろう。だが、まずいことにどちらも酒が入っていない。素面でやる行為ではないということは重々承知しているが、男という生物をやっている以上、この快楽には抗えない。
「イゾ……、もう出……っ」
「ん」
黒髪が短い返事をし、身体を離す。ボディーソープを纏わせて戻ってきた右手が怒張しきった砲身に添えられ、絶妙な力加減で擦りあげた。
「あ……っ、くぅ……!」
なすすべもなく白濁を噴き上げて解放の余韻に浸りながら、サッチはリーゼントが崩れた前髪を忌々しげにかき上げた。
ことのきっかけは、酒の席での猥談だ。エースほど深刻な悩みではないが、おっさんにだって性欲はある。それをいかにスマートに、かつ効率よく発散するかというくだらない話題で盛り上がっていた。しかし男ばかりの船の上だ。ナースにお願いするなど言語道断だし、仕方がないので、結局は若者と同じく使い古したグラビアで次の上陸でお相手してくれる商売女を想像しながら右手のお世話になるしかない。もしかすると、航海中で一番辛いのはシモの事情かもしんねぇなァ! とゲラゲラ笑いながらその場はお開きになった。そんな話をしているうちに催してしまったサッチは、たまにはいいかと風呂で処理をすることにした。するとあとからついてきたイゾウが声をかけてきたのだ。
「しゃぶってやろうか」
酔いの勢いとは恐ろしい。イゾウの色気のある視線を、サッチはつい真に受けてしまった。そのまま二人で風呂に行き、誰もいなくなったのを見計らって口で処理をしてもらった。それ以来、頻度は少ないが何度か「お世話に」なってしまっている。
何故あの時、「バカ言ってんじゃねェよ」と一笑に付さなかったのかと、サッチは心底後悔していた。拒んでいれば、今みたいに悶々と悩むことはなかったかもしれない。オトコの本能が恨めしい。
イゾウはサッチに好意を抱いている。竹を割ったような性格のイゾウは、その感情を隠すことなくサッチに打ち明けた。だがサッチの性癖は至ってノーマルだ。男同士がセックスをすることに対して偏見はないが、自分には縁がないことだと思っている。だから彼の気持ちにも応えることは出来ないと伝えていた。それなのに、結局一番大事な部分を明け渡してしまっている。情けない話だ。
イゾウはいいやつだ。麗しい外見とは裏腹に、ひとたび銃を持つと般若以上に恐ろしい。(ちなみに彼の部隊の訓練は、部下に言わせれば「死んだ方がマシ」なほど厳しい)だが男気があり、家族想いだ。末っ子が彼に密かに色々と相談しているのも知っている。サッチに対する好意も、本物なのだと思う。だからこそ、その感情を逆手に取るような矛盾したこの行為は、辞めたかった。しかしそれを拒んだのも、またイゾウだった。
「いいじゃねェか。おれはあんたに触りたいし、あんたは性欲処理が出来る。一石二鳥だろ?」
曰く「一方的な感情の押し付け」らしいが、サッチはそれがどうにも腑に落ちない。自分なら、惚れた相手には振り向いてほしいと思う。(性別はこの際不問だ)だがイゾウは「そこまでは望まない」と言い切った。気持ちに応えられないサッチがどうこう言える問題ではないが、それでも何だかモヤモヤとしてしまう。その正体が分からず、結局ずるずるとここまで来てしまったのだ。
だからサッチはその状況を打破すべく、なるべく自然な声音になるように心がけながら、お湯も滴るいい男に声を掛けた。
「あ~……。おまえさんは?」
これまで散々ヤっといてもらって今更言う話ではないが、自分だけヨくしといてもらって「ありがとよ」というのは何だか気が引けてしまう。男のものをしゃぶるなどサッチは好んでやるタイプではない。だが礼儀として(?)聞いたのだが、イゾウの答えはある意味予想通りだった。
「おれはあんたに突っ込みてェんだが?」
「えーっと……それはちょっとなァ」
「ふふ。分かってるさ。おれはいい。じゃァな」
ざっと湯を浴びて黒髪を簡単に結い上げ、腰にタオルを巻いた姿で、イゾウはシャワーブースから出て行った。何を着ていても、何も着ていなくても様になる男だ。それと比べて自分のこの優柔不断さは何だ。苛立ちと情けなさから、はぁあ、と再びため息が零れ、サッチはシャワーを水に切り替えて頭から被った。
結局何の進展もないまま航海は続いた。明後日には上陸だ。一度女でも抱けば、あれは気の迷いだったと思えるだろう。そうすればイゾウの「好意」に乗っかることもなくなり、強い意志を持てるとサッチは信じていた。上陸目前の酒盛りは大層盛り上がっていた。いつもはあまり飲まないマルコが、イゾウを相手に杯を交わしている。珍しい組み合わせだな、とサッチは気にせず料理の供給に勤しんでいた。焼き上がったとっておきの逸品を二つの皿に盛りつけ、輪の中に向かう。口いっぱいにミートパイを頬張りながら手を伸ばしてきた行儀の悪い末っ子に軽く蹴りを入れて大きな皿を渡し、もう一つの皿をマルコとイゾウの間に置いた。
「ほい。サッチさん特製バックリブが焼き上がったぞ」
「ありがとうよい。上陸前には、これを食わないと気分が出ねェよい」
航海中の肉は大事な食糧なので出し惜しみされがちだが、上陸前の宴には必ずこれを出すとサッチは決めていた。手づかみで豪快に齧り付くのがお約束だ。骨まで食い尽くしそうなエースの雄叫びが聞こえる。肉を大皿にまとめて乗せて提供し、全て末っ子の腹に納まってしまったということがあってからは、面倒でもエースとそれ以外のクルーの皿に乗せて提供することにしている。
「ああ、うまいな」
ふと目を向けると、イゾウの唇が満足そうに弧を描いていた。その下弦に脂で光る指が添えられ、白い歯が食み、赤い舌がぺろりと這う。
「……っ」
ずぐん、と。サッチの腰が疼いた。
「……さァて。肉はこれで終いだ! 酔い潰れる前にちゃんと片付けとけよ!」
全く冗談じゃない! サッチは頭をぶんぶんと振りながら煩悩も振り払い、あっという間に空になった弟の大皿を手に、逃げるようにキッチンへと向かった。
やがて夜も更け、甲板にいた家族が散り散りに部屋へと戻って行く。大体の片付けが終わったサッチも部屋へ戻り、もう少しだけ飲むかと残り少なくなったマイボトルを手にベッドへ座ったところでドアがノックされた。
「誰だァ? まぁ入れよ」
寝るには少し物足りない夜だ。話し相手ならば歓迎だと声を掛けたのだが、ドアを開けた男にサッチは動揺した。表情が出ないように招き入れる。
「おう、えらくご機嫌だな」
「ふふ。まァな。今日は少し飲みすぎた」
一升瓶を手にした美丈夫は、はらりと落ちてきた前髪を気にすることなくサッチの横に座り、瓶を煽った。殆どなかったらしいそれは一瞬にして空瓶となり床に転がる。切れ長の目が熱い視線を送るのは、サッチが手にしているスコッチだ。
「随分残ってるじゃねェか」
「大事にとっておいたんだよ。やらねェぞ」
「はん、酒もザーメンも、取っといてもいいことなんてないだろうが」
そんな綺麗な顔でザーメンとか言わないでほしいとサッチは思ったが、酔っ払いに手出しは無用だ。しかしザルどころかワク、いやむしろウワバミのイゾウがここまで酔っているのは珍しい。一体何があったのだろう。
「今日は飲みすぎてるな。マルコと話が弾んだか」
「不死鳥様は、説教がお好きだからな」
「おいおい、どうしたってんだ」
「どうもしねェよ。……なァ。そろそろタマってるだろ。最近ご無沙汰だったもんな」
突然光った瞳にサッチは「ヤバイ」と身を翻したが一瞬遅く、あっという間にベッドに縫い付けられた。押さえつけられた腕が軋む。酔っ払いは力の加減が出来ないから嫌いだ。
「こら、やめなさいって。明後日には上陸だから間に合ってるっての!」
「おれは用なしか」
「そういう言い方するなよ」
心なしかしゅんとしたイゾウの仕草に、サッチはうっかり力を抜いてしまった。その隙をついて、イゾウが器用にサッチのボトムを脱がしにかかる。
「ちょっ、マジでやめろって。ここだとシャレになんねェだろうが」
シャワーブースでしかしていなかった行為をここでやるのは、非常によろしくない。出しても流せないし、何よりベッドというアイテムは、この流れでは大変危険だ。だが慌てたサッチの声など全く気にせず、イゾウはまろびでたサッチのペニスをあむりと咥えた。刺激に逆らえずぐんと張りつめる反応に、にやりと笑う。むくむくと育った樹をひと舐めし、イゾウがまた笑った。
「あんた、さっき肉持ってきた時に、勃ったろ」
「……っ、うっせ。わざとらしく煽りやがって」
しっかりバレていたのを誤魔化すように、サッチは悪態をついた。イゾウの指摘通り最近はご無沙汰だったし、先ほどの彼の仕草に反応してしまったのも事実だ。だからサッチは諦めて力を抜いた。
明るい自室で、ベッドの上で、股間を家族にしゃぶられて。情けない以外に言葉が出ない。だが、シャワーの中では全く露見しなかったイゾウの微かな反応に、サッチはそっと手を伸ばし、黒髪に触れた。ぴくり、と肩が揺れる。するりと下ろした手が耳を掠めた時、くぐもった声が漏れた。その言い知れない甘さにサッチの雄は素直に反応し、たちまち絶頂へと向かった。
「……っ、ァ! くっそ……っ、出る……っ!!」
いい年をして! と叱咤しても後の祭り。温かい口腔に吐精する快感に腰が震える。しかし数秒後には、イゾウの口にぶちまけてしまったという事実に顔面蒼白になった。
「……っ、わりィ、えっと、ティッシュ、そこに」
組み敷かれたまま狼狽えるサッチに、イゾウがペニスを含んだまま視線を上げ、そのままごくりと喉を鳴らした。たまげたのはサッチだ。慌てて起き上がり、イゾウの肩を掴む。
「こら! 何てことするの! ぺってしなさい! ぺっ!!」
まるで母親みたいな言い方をするサッチを無視し、イゾウはぺろりと唇を舐め、艶然と笑った。
「あ~……もう。おまえさんね……」
射精後の脱力感も加わって「はぁああ」と肩を落とすサッチに、イゾウがぐらりと倒れ込んだ。あんなモンを飲んだから具合が悪くなったのかと心配したが、よく考えたら女が飲んで(「飲んでもらったことがない」などという野暮なことは言わない)男が飲んだらダメということはないだろうから、おそらく無害だろう。ぎゅうと腰に回された手に力が入り、のしかかられたままの太ももに、すっかり張りつめたイゾウの怒張が押しつけられた。
「サッチ……好きだ」
どこか泣きそうな声に、サッチがため息をついた。
「あんたに惚れてンだ……サッチ。抱きてェ」
寝言のように呟き、凭れるように力を抜いた。そのまま落ちそうになるイゾウに、またため息が出る。表面的な好意は無理やりにでも押し付けるくせに、心根に隠した本音はここまでしたたかに酔わないと出せないイゾウがどうにも愛しくなってしまい、これまで見ないふりをしていた「感情」に、サッチはとうとう落ちた。
「あーもー! 素直じゃねェなおまえさんは!」
再び肩を掴んでそのままベッドに押し倒す。「んァ?」と普段は決して聞くことが出来ない彼の寝ぼけた声を「可愛いじゃねェかコノヤロー」と思ってしまった時点で、サッチの敗北は決定した。だがそんなことはどうでもいい。着物を左右に開き、イゾウが付けている独特の下着を何とかして外す。しっかりと固さを保ったそれを怖々と握ってごくりと一呼吸置き、ええいままよと口に含んだ。
「サッチ……っ!」
酔いなど一発で冷めたらしいイゾウが起き上がろうとするが、そこは体格の差で押さえつけ、サッチは慣れない口淫を開始した。もちろん男のブツをしゃぶるなんて初めてだ。だが口腔で更に硬度を増すその反応は、決してイヤな感触ではなかった。過去の経験とここ最近の記憶を引き出しあれこれと仕掛けてみる。くしゃりと髪を掴まれながら降ってくるアルトの甘い吐息に、サッチは「悪かねェ」と思ってしまった。
「……っ! ぅ……っ!」
イゾウの動きが止まり、頭を押さえられた。まさかと思った時にはすでに口の中のモノが爆ぜた後だ。あますことなく広がった独特の粘りと匂いに、サッチはたまらず口を離してしまった。
「うげぇえええ!! 苦ぇええええ!!」
ムードなんて最初からあったものではないが、それでも雰囲気をぶち壊す勢いでサッチは口の中のモノをティッシュに出し、横に置いてあったままの酒を煽った。
「ゲホッ、ガハッ! おま、よくあんなの飲め……!」
後味の悪さと酒の強さに噎せるサッチに、イゾウがふいと顔を逸らす。
「……別に、頼んでねェだろ」
頬を高揚させて息を整える彼の色気に、サッチはヤられてしまった。息を整えて酒をもう一度口に含み、念押しをする。
「おまえさ、勘違いするなよ」
「しないさ。どうせあんたのことだ。これまでの礼のつもりでヤったんだろ」
言外に「余計なことしやがって」と含まれているのが分かり、サッチはむっとした。
「だァから、それが勘違いだってんだ! おれが! ヤりてェからやったの。おれは礼で野郎のブツをしゃぶれるような安い男じゃねェよ」
最後は早口になったサッチを、イゾウがぽかんと見つめていた。これもまた、普段の澄ました彼からは想像できない表情だ。
「あんた……自分で何言ってるか分かってんのか?」
「うっせーな! 自分でもよく分かんねェよ! おまえが可愛すぎるのが悪ィんだ」
悪態をつくサッチの前に、すす……っとイゾウの顔が近づいてくる。綺麗な顔に見とれているうちに、色白だが節がある指が、唇に触れた。
「悪かった」
「……もういいってんだ」
ゆっくりと近づいてきた唇を拒む理由は、なかった。キスってこんなに甘かったっけなァと思っているうちに、ぬくみが離れる。あァ勿体ねェ、と感じたことに、サッチはもう抗わなかった。
「寝る」
ごろりとベッドに寝そべり、黒髪がシーツに散る。イった後の倦怠感は同じ男としてよく分かるし、珍しく酔っているので動くのが億劫らしい。
「言っとくけどな、尻はそう簡単に開け渡さねェぞ」
「ふふ。じっくりいくさ」
すっかりいつもの調子を取り戻したイゾウは、今度こそ眠りの淵に身を預けた。すぅすぅと規則正しい寝息を立てる伊達男を横目に、サッチはもう何度目か分からないため息を零した。
「あ~あ……」
深夜のシャワーブースで、サッチは独り頭を抱えた。いつかこうなる気はしていたが、思っていた以上に早かった。それもこれも、イゾウの執念と、テクニックが悪いのだ。己の堪え性のなさと、快楽に流されやすいせいでは、決してない。
シャワーを止め、さっぱりした身体でイゾウが眠っている自室へ向かう。ベッドを占領されているので、今日は床で寝るしかねぇなァと歩いていると、ぬっと人影が現れた。
「お、どうしたエース。こんな夜中に」
くせのある黒髪が、眼光鋭くサッチを睨んだ。
「マルコが潰れてっからヒマなんだよ」
「暇っつったって、夜中なんだからおまえも寝ればいいだろうが」
「うっせェな。全部サッチのせいだろ」
とんでもない言いがかりに、サッチは「はァ?」と聞き返した。何でマルコが酔い潰れたことが自分のせいになるのか、この末っ子は時々意味が分からないことを言う。
「今日、マルコとイゾウが一緒に飲んでただろ」
「ああ、珍しいよな。そういやイゾウも酔っぱらってたわ」
「イゾウ、悩んでたんだぜ。あんたのことで」
「え? そうなの?」
「だからマルコが飲ませたんだ。『おまえは酒の勢いでもなきゃ踏み込めねェだろい』って」
全くの初耳だ。大体イゾウが悩んでいることだって、サッチは全く知らなかった。だってイゾウはいつだって飄々としていて、心根をさらけ出すことはない。
「マルコも強い方だけど、イゾウは……何だっけ、あ、カワセミ。カワセミなんだから、イゾウが潰れたらマルコも潰れるに決まってるじゃん」
「ウワバミな」
うっかりカワセミのイゾウを想像して吹き出しそうになったが、エースの目を見たサッチは間違いだけを訂正した。
「いいおっさんがバタバタ逃げ回ってんじゃねェよ。イゾウが可哀想だろ」
何が悲しくて最年少の末っ子に恋愛事情で説教されなければいけないのか。しかし言っていることは至極正論なので、サッチは「はァ……」と首を垂れるしかなかった。そんな殊勝なサッチを見てエースは「うし!」と笑い「じゃァおれも寝る。おやすみ」と機嫌よくマルコの部屋へと入っていった。言いたいことを言えば、あとは引きずらない。彼もまた、隊長に向いている性格なのだ。
バタンとドアが閉まる音に、サッチは(これが最後だ)とため息を吐き出した。エースの言うことは尤もだ。彼に「堕ちて」しまったのは確かなことなのだし、それをいまさら否定する気にはなれない。
「……ま、イくところまでイキますかァ」
ん~、と伸びをしてサッチは再び歩き出した。秘密主義の気があるイゾウが隠している一面を、もっと見てみたいと思った。人生は一度きり。一番近い家族が恋人になってもいいじゃないか。
静かにドアを開けると、イゾウは相変わらずよく眠っていた。端正な顔にかかった黒髪を、そっと梳いてやる。朝、同じベッドで眠っていたら、彼はどんな表情をするだろう。そのリアクションを明日の楽しみにすることにして、サッチはきっちりと右側が開けられたベッドへ潜り込んだ。
(おわり)
------------------------------------------------ 2015.5.10 GLC3 無配
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