「いたいた、イゾウちゃーん」
背後から投げつけられた気持ちの悪い猫なで声にモビー随一の伊達男は不機嫌を隠すことなく眉をしかめた。こんなふざけた呼び方をする人間は、モビー広しといえど1人しかいない。そこには予想通り、リーゼントがトレードマークの4番隊隊長が手招きをしていた。
「ちょっとさ、ラウンジに来てくんねェ? 時間は取らせねェからよ」
来ない、なんて返事など全く予想していない顔で、サッチは「じゃァ、待ってるからよ!」と、一足先に行ってしまった。
何を今更、と言い返そうとしてもその姿はなく、イゾウは小さくため息をついた。
イゾウに対する、家族からの乱暴で温かい祝福、つまり生誕の宴があったのが3日前。あいにく遠征中だった4番隊は、その宴に参加することが出来なかった。任務は任務だし、無事に帰ってきたことが何よりの土産だ。女々しいことを言うつもりもないし、自分がつまらないことを気にするような性格だとは思いたくない。だがあの男は気の利いた土産も寄越さず(「皆で飲んでくれ」と山のように酒はもらったが、部下がほとんど飲んでしまった)「誕生日おめっとさん。当日にいてやれなくてごめんな」なんて軽い言葉だけで終わったことが、「サッチに惚れられている」という自負があるイゾウを苛つかせていたことも事実だ。
あれから3日だ。3日も経って今更呼び出しだなんて、何を考えているのか分からない。
大体あのリーゼントはヘラヘラして軽口を叩くくせに、本心はきっちりと懐にしまい込んで欠片も見せたりはしない。少し前のサッチの誕生日だって、立ち入り禁止にされていたキッチンに忍び込んでイゾウのために粥を作り、「デート」(本人談だ)の算段を取り付けたのに、進展させる気なんてさらさらないという風体で街を一緒に闊歩しただけで終わった。それが楽しくなかったわけでもないし、自分だってサッチに輪をかけて心根を見せない性格であることはこの際無視して、イゾウは改めて腹を立てラウンジへ向かった。
「よしよし。ちゃんと来てくれておにいさんは嬉しいぜ」
「うるせェよ」
「ヒヒッ。怒った顔もベッピンさんだこって」
コックたちもとっくに寝てしまって誰もいないラウンジ。イゾウの機嫌なんてまるで気にすることなく、サッチはトレーを手にキッチンから出てきた。
「遅くなっちまってごめんな。おれからの誕生日プレゼントだ。シロップ染み込ませるのに時間が掛かっちまってよ」
柔らかいテナーと共に目の前にサーブされたのは、スパイスがたっぷりきいたミルクティとパイのような菓子だ。決して大きくはなく、層になった薄いパイ生地の間から鮮やかな緑色が見える。一目で味が想像出来たイゾウは、遠慮なく形の良い眉を寄せた。
「甘そうだ」
「あ~。ちょっと甘ェかもな。いや、かなり甘い」
「甘ェのは嫌いだっつってんだろ」
「う~ん。そうなんだけどさァ。遠征先で食ってすげーうまかったから、おまえさんにもちょっと食べてほしいなァってな」
一口だけでも食ってくんねェ? と懇願され、イゾウは渋々フォークを取った。切ると上の部分はさくさくと沈み、中層部分はしっとりと埋まる。一口大になったそれを口に入れると、パイよりも数段薄い生地がほろほろと口の中でほどけ、ラム酒の香りがふわりと鼻腔を撫でる。パイの食感とナッツの歯ごたえが絶妙なバランスだ。だが、
「甘ェ」
容赦なく浴びせられる罵声に、サッチは「やっぱ甘いか~」と眉を下げて笑った。
「実は向こうで食ったのはこっちなんだけど、ほんとすげー甘かったから、おまえさんには上のシロップが掛かってないのを作ってみたんだけどな」
もう1つの皿に乗せられたそれは小さなひし形で、上にちょこんと乗せられたアーモンドもろともたっぷりと蜜を掛けられつやつやと輝いている。食べるまでもなく、先ほどのものよりも確実に甘い。
「生地の間にナッツを挟んでよ、焼いて、その上からバターをたっぷり入れたシロップを山ほどかけて染み込ませンだ。あっちじゃ有名な菓子らしい。いろんな文化が混ざった島だったから、見たことがない食材もいっぱいあってなァ。このうっすいパイ生地みたいなのも向こうで買って、ナッツも山ほど積んで帰ってきたんだ。で、再現してみたってワケ」
サッチの解説を聞き流しながら、何となくそちらにも手を伸ばしてみる。甘いものが苦手なくせに、見た目がおいしそうだとついつい手を出してしまうのはイゾウの悪い癖だ。先ほどのものとは違い、上から下までみっしりとした質感の生地の中にはざっくりと刻まれたくるみが挟まっている。少し小さめに切り、あむりと頬張る。
「甘ェ!!!」
思わず絶叫したイゾウに、サッチが笑い転げる。撃ち殺してやる! と物騒な涙目になるイゾウの舌に、ぴりりとした刺激と酸味が走った。とにかく咀嚼をして、紅茶で口を潤す。悔しいが、スパイスがきいたこの紅茶はとても合う。
「……レモンと、ジンジャーか?」
「ご名答。さすがだなァ。これはサッチさんのアレンジな。あとラム酒も。おれ海賊だし、海賊と言えばラムだろ?」
ヒヒっと笑うその顔は、いたずらっ子そのものだ。いい歳をしてこんなガキみたいな顔をするのだから、この男は手に負えない。
「……何で甘いものが苦手なおれに、これを寄越すんだよ」
サッチは「うーん」と考え、再び眦を下げた。
「おれの愛の甘さ? なんつって」
ほら、まただ。この男はまるで冗談みたいに本心を言って、そのまま終わらせてしまう。付き合いが長くなればなるほど、イゾウはサッチという男が分からなくなっていた。本当に欲しいものには手を出さないなんて、海賊の風上にも置けない男だ。
「これは澄ましバターをたっぷり使ってっから、保存もきくんだ。あの食いしん坊に見つかったら、すぐ食い尽くされちまうだろうけどな」
「紅茶にはすごく合う」
「だろ? ダージリンとかでもいいと思うけど、やっぱスパイスとの相性がいいんだよなァ。ビスタのお茶菓子にも使えると思うんだよ」
―――けどまァ、おまえさんには重過ぎるよな。
どこか寂しそうに笑うリーゼントが下げようとした皿をむんずと掴んだのは、他ならぬ16番隊隊長だ。
「え? イゾウさん?」
「おれのだろ?」
「へ?」
「おれのために、作ったんだろ?」
「あ~……まァね」
「じゃァおれンだ。勝手に下げんじゃねェよ」
2つの皿を並べ、イゾウは黙々とフォークを進めた。交互に食べても、甘いものは甘い。「あの~。眉間にすげェ皺いってますけど?」というサッチの指摘はきれいに無視した。
「ごっそさん。あとはエースにでもやってくれ」
ぽかんとしたあとにへらりと笑ったリーゼントはやっぱり相変わらずたれ目で、目元の傷も一緒にたれてて、これが剣を持たせたら誰よりも冷徹になる白ひげ海賊団の4番隊隊長かと疑うほど情けない面だ。分からない。全く違うものなのに、どこか故郷を彷彿とさせる菓子を(それも甘いものが苦手なことを知り尽くしている相手に対してだ)作って寄越すこの男が、そして何でこの男が自分に惚れているのか、どれだけ考えてもイゾウには分からなかった。だがもっと分からないのは、「この男を知りたい」と考えている自分の心理だ。
「あー、もう。わかんねェ」
思慮深く見えるが、基本的にイゾウはあまり考えない。考えすぎると鬱々としてしまう自分の性格を熟知しているからだ。
「何が」
「あんたがだよ」
「そうか?」
「おれの胃袋掴んで、何が楽しいんだ」
「あ、マジ? 掴めた?」
「うるせェよ」
「おまえさんが言ったんだろ」
リーゼントの反論なんて受け付けない。美丈夫はすっと立ち上がり、切れ長の瞳をまっすぐ彼に向けた。
「おれを恋人にしようなんざ考えるヤツの気が知れないっつってんだ」
「そうか? 結構ライバル多い気がしてるんだけど」
「そんな物好きはあんたぐらいだ」
「自己評価低いねェ」
「頭ブチ抜くぞ」
「あ、それは勘弁」
へらりと笑う男の胸ぐらを、イゾウは思いっきり掴んだ。
「このおれとそういう仲になるつもりなら、そう簡単に逃げられねェってことを頭に入れとけよ」
きょとんとしていた優男の瞳に、強い意志が灯る。そう、まるで敵を目の前にした時のような。
ああ、たまらない。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますってんだ」
「……上等だ」
噛みつくように唇を奪ったのは、どちらからだっただろう。
菓子の甘さなど微塵も感じられない、男たちの時間が動き出した。
(おわり) ----------------------------------------- イゾウ誕2015 美しく男らしいあなたが大好きです。おめでとう!!
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