「ふんふん。ここだな」
茶色の毛並みに黒いあごひげ。頭にトレードマークのリーゼントをセットしたおおかみは、小さな小屋の前でにやりと笑いました。
「ヒヒッ。いい匂いがしてやがる。聞けばガキばかりで留守番してるらしい。腹ペコなおれにはとっておきのテーブルってわけだ」
おおかみのサッチははらぺこでした。もう何日も食べていません。このチャンスを逃せば命だって危険です。おおかみは必死でした。
えへんと咳払いをし、木のドアをノックしました。
「坊やたち。おかあさんが帰ってきましたよ」
ドアの内側から「おかあさんだ!」「帰ってきた!」と賑やかな声がします。
そうそう。ガチャッとドアが開いたところでまずは一匹…と舌なめずりをしたおおかみに、年長者らしき子の声聞こえます。
「おかあさんはそんなガラガラ声じゃないぞ!」
なるほど。確かにそうです。おおかみは街へ戻り、声が綺麗になるというチョークをボリボリと食べて再び小屋へ向かいました。
「坊やたち、おかあさんですよ」
綺麗な声に子供たちは「おかあさん!」「おかえりなさい!」と大興奮ですが、小窓に映ったおおかみの手を見た上の子の声が再び通ります。
「おかあさんの手はもっと白くて綺麗だ」
ふむなるほどなとおおかみは思いました。そこで近所のパン屋に押し入り、小麦粉を強奪して手足にはたきました。全く動じない青い鳥の店主が「悪いことは言わないからやめといた方がいいよい」と忠告しますが、おおかみには聞こえていません。
三度目の正直と、おおかみはドアをノックしました。
「ほら。今度こそおかあさんだよ。開けておくれ」
美しい声に白い手足。もう誰も疑いませんでした。
「おかあさん、おかえりなさい!」
ドアが開き、待ちに待ったおおかみは勢いよく部屋へ飛び込みました。逃げる暇など与えません。さぁどこだ。ベッドの中か? テーブルの下か? 置き時計の中に隠れる子もいるかもしれない。どこに隠れていたって全員食べてやる。おおかみは、がおーとひと鳴きして部屋を見渡しました。
「いただきま……え?」
恐ろしいおおかみを目にして逃げまどうはずの子やぎたちは、ちっとも動じることなくドアの前で背の順に並んでいました。結い上げた黒髪の上にちょこんと乗ったやぎの耳。ひいふう……七匹います。最近のやぎの子はずいぶんとスタイリッシュなんだなと思ったところで、長男が口を開きました。
「はじめまして、おかあさん」
「こんにちは」
「おなかがすいた」
「ペコペコです」
「ごはんつくって」
「オムライスがいい」
「ちゃんとまいてるやつ」
「……は? え?」
口々に言う子やぎにおおかみは困惑しました。もちろんサッチは彼らのおかあさんではありません。いくら声が綺麗で手足が白くても、姿を見せてしまえばサッチはまごうことなきおおかみです。なぜこの姿を見てそんな言葉が出るのか理解不能でした。しかしおひとよしのおおかみは、彼らを食べることはおろか、お腹を空かせている子供たちを放っておくことが出来ませんでした。
「……しょ、しょうがねぇなァ。あり合わせのモンで何か作ってやるよ」
頼まれると断れない。それがサッチの長所であり、最大の欠点でした。「命だけはお助けを!」と言われると、どうしても食べることはできません。そしておおかみは、今日もまた食事にありつけなかったのです。
七人分のオムライスを作り、風呂に入れ、子やぎたちにすっかり懐かれたおおかみはへとへとです。こいつらを寝かしつけたらとっととおさらばしようと奮闘していると、ガチャリとドアが開きました。
「おとうさん!」
「おとうさんだ!」
「おかえりなさい!」
やっとベッドに入れた子やぎたちがぴょんぴょんと出て行き、サッチの苦労は水の泡になりました。
「……ったく! タイミングの悪いときに帰って来やがっ……へ?」
本来の目的をすっかり忘れたおおかみが、我に返った瞬間でした。
「お、おとう……さん?」
そこには子供たちと同じ黒髪を結い上げ、紅をひき、頭の上にやはり耳を乗せた大人のやぎが立っていました。
「うちのガキに何か用か?」
凛としたアルトに、おおかみは思わず「あ~……えーっと……腹、空かしてたからよ」と返事をしました。
「おかあさんがきたよ!」
「ぼくたちのおかあさん!」
「サッチだよ!」
「オムライスがすごくおいしいんだ」
パジャマ姿の子供たちが次々と父親にに報告をし、一匹ずつキスを貰ってベッドに入ります。おおかみにも「おかあさん、あしたはハンバーグがいい」と言い残し、散々騒いだ子やぎたちはあっさりと眠りにつきました。
「ガキどもが世話になったな」
やっと静かになった家の中で、やぎがおおかみに礼を言います。それは奇妙な光景でした。
「別にいいけどよ。あんな小さいガキだけで留守番させるなんて何考えてやがんだ。下のチビなんて寂しいって泣いてたんだぞ」
部屋を出ていこうとしたサッチに「行かないで」と瞳に涙を浮かべて訴えた末っ子やぎの顔を思い出し、思わず強い口調になります。おおかみは、本当におひとよしでした。
「あいつはまだ、母親が恋しい年だからな」
「あの子たちの母ちゃんはどうしたんだよ」
「あいつらがうんと小さいときに、な」
「そっか……」
寂しそうに目を伏せたやぎを見て、サッチはそれ以上何も聞けませんでした。男手一つで七匹もの子を育てるのは並大抵のことではないでしょう。思わず滲んだ涙を腕でぐいと拭います。
一方で親やぎは、嘘八百にすっかり騙されたおおかみのことを大層気に入りました。元々この家に母親なんていません。子供というのは種を撒いておけばそのうち「おとうさん!」とドアを開けてやってくるものだと思っています。その子供たちがこのおおかみをおかあさんと呼ぶのであれば、その通りにすればいいのです。
やぎは切れ長の瞳をすっと細めました。
「あいつらを、食おうとしたな」
突然当初の目的を突きつけられたおおかみは狼狽えました。
「そ、それは……。でも結局食ってねえだろ。一匹も」
「当たり前だ。そんなことをしたら生きては帰さない」
留守にしがちな自分に代わって身を守れるよう、可愛い子やぎたちには護身術の行き過ぎたものを習得させているので親やぎが出る幕はないのですが。
「じゃぁいいじゃねぇか。母ちゃんいないのは大変だけど、最近物騒だから気をつけてやれよ」
おおかみがどの口で言うかと思いましたが、サッチは「じゃぁな」とドアへ向かいました。
「おれの飯は」
「あるわけねェだろ」
サッチは家族がいない一匹おおかみなので、やぎのことを少し羨ましく思いました。だからと言って、親やぎの世話をするまでの義理はありません。
「……おれもたまには、誰かが作った飯が食いたい」
「……」
ぴたりとおおかみの足が止まります。おおかみは、どこまでもおひとよしでした。
「……ガキどもが食い尽くしちまって、何も残ってねェよ」
「じゃぁあんたを食う」
「はァ!?」
仏心を出したのが運の尽き。想像以上に強い力でむんずと腕を掴まれ引きずられた先は、子供部屋とは反対にある親やぎの寝室でした。
「ちょっ、ちょっと待て! 何考えやがんだおまえ!」
「気に入った。ガキどももあんたにはたちまち懐いたし、丁度いいじゃないか」
「どこがだよ! ぶっ! こら! 尻尾はヤメロって!!」
必死に抵抗を試みますが、やぎはものともせずさっさとおおかみを組み敷きました。
「サッチ」
吸い込まれそうな黒い瞳にじっと見つめられ、サッチは気付きました。ああそうだ。はらぺこだったのはお腹ではなかったんだと。本当に欲しかったのは食べ物ではなくて……。
「……名前ぐらい教えろってんだ」
「イゾウだ」
即答するやぎに、サッチはヒヒっと笑います。
「……ったく。どっちがおおかみだか分かったもんじゃねェ」
こうして次の日も、その次の日も、七匹のかわいい子やぎたちはおおかみサッチの美味しいご飯を食べて仲良く過ごしましたとさ。
(おしまい) ------------------------------------------ 2016.5.29 GLC6無配
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