「おいエース! てめぇ、尻揉ませろ!」
「はぁっ!? 意味わかんねぇ!」
衝撃的な情景を見て貴重な食事を落とした上に、何でそんなことまで言われなければいけないのか。完全にもらい事故状態の新入りは、仮にも目上の隊長に対して思ったままを口にした。素直に「はいそうですか」と受け入れるには、色んな意味で理不尽だ。
ああもう! 一体何だってんだ! と一人でキレながらラウンジを後にする4番隊隊長を見送り、「災難だったな、エース」と厨房のクルーから再度渡された食事を受け取って、エースは今度こそ席に着いた。食事はもちろん旨いが、何か腑に落ちない。まるでサッチのモヤモヤがうつった気がしてええいと首を振り、食事に集中した。
「あ、マルコ」
その日の夜。風呂上がりに廊下をぺたぺたと歩いていると、1番隊隊長が大部屋から出てきた。
「おうエース。風呂行ってたのかい?」
「うん。さっぱりした」
「新入りは最後だから、湯も少なかっただろい」
「平気平気。逆に気兼ねなく使えたぜ。……あ~、あのさ、マルコ」
「どうしたい」
「……ん、やっぱいいや。何でもない」
「何でもないわけがないだろい。何か不便なことでもあったかい?」
新入りが見せる躊躇に、ベテランクルーは必要以上に反応した。変に勘がいい腐れ縁のリーゼントが居合わせていたら、マルコの今の発言を聞いて腹を抱えて笑うだろう。
「あ、そうじゃないんだ。みんなすごく良くしてくれるし、飯もたらふく食べさせてくれる。おれだけじゃなくて、スペードのクルーたちも機嫌よくやってるぜ」
「そうかい。それはよかった。じゃぁ何が引っかかってるんだい?」
大人が子供を諭すように優しく訊ねてくる声に、エースは戸惑いながらも口を開いた。
「……マルコって、恋ってしたことある?」
「はっ!?」
思わぬ質問に、あらぬ声を出してしまったが後の祭りだ。この青年の発言は突拍子で、彼の倍ほどの年を重ねているマルコを簡単に驚かせる。しかも海賊稼業とは全く関係のない話だ。つい先日までニューゲートの命を狙うべくナイフを持って船内を駆け回っていたくせに、突然どうしたというのか。
「恋……かい?」
「うん。恋ってさ、どんなもんなのかなと思って」
「恋……ねぇ」
そんな感情は遥か昔に海へ投げ捨てたと思っていたが、どうもそうではなかったことを目の前の青年を見て気付いたマルコにとってもタイムリーな話題だ。だが、若かりし頃とある程度経験を積んだ今では、その定義が変わってることも分かっている。まだ若いこの青年にどう伝えるべきか1番隊隊長は少し悩んだ。というか、質問の意図が読めない。もう少し情報が欲しい。
「急にどうしたい。気になる女でもいたか?」
そう言えば先日上陸した時にサッチに引きずられるように花街へ連行されていたのを思い出した。他人のシモ事情をとやかく言う筋合いはないが、「大人の世界を教えてやる」だのと適当なことを言って末っ子を連れ出したあのお調子者のリーゼントには、一発蹴りを入れなければいけなかったのだ。
「もしかしてこないだの話? 何か色々言われたけど、結局面倒になって飲んで食ってそのまま寝ちまったんだ」
「おまえらしいねい」
「でもさ、サッチは気が付いたら消えてたんだ。『おれの恋はここに落ちてたんだ』て言いながら。恋って、落ちるもんだと思ってたんだけど、落ちてるものを拾うってことなのか?」
「あいつが言うことを真に受けてたら、人生の大半を無駄に過ごすことになるよい」
基本的には気のいい兄貴だが、色恋が絡むと残念なことになるのがサッチだ。しかもその色恋が幻想だということに彼は気づいていないので、残念さに拍車がかかっている。
「ヤりたくなるときはあるけどさー、それと恋とは別なのかなーと思って。好きだからヤりたいのか、ヤりたいから好きになるのか、どっちなんだろう」
「おまえは時々核心を突いてくるねい」
突然の哲学的な問いに、思わずマルコの眦が下がる。戦闘となれば後先を考えずに突っ走る火の玉小僧だが、こうして時折浮かべる疑問の端々に彼の聡明さが垣間見れた。バカな子ほど可愛いというが、「その状態」に「墜ちて」しまえば、そんなものは関係ないのだろう。
彼の聞きたいことは理解できたが、それをどう伝えるのかが問題だ。分かるように、しかし隠す部分は徹底的に隠して、論理的に、理性的に伝えなければいけない。さてどうするかと腕を組んだ一番隊隊長に期待のまなざしを向ける新入りの顔が、さっと青ざめた。
「……っ! うわぁああ!!」
「あーーーー。これこれ。癒されるよなァ」
ひょいとエースの後ろを覗いてみると、エースの尻をむんずと掴みながら頬ずりをするリーゼントがくっついていた。もちろん、マルコは妙な気配を察していたが、エースにこの気配を感じ取れというのはまだまだ修行が足りない。
「サッチ!! 何してんだよ! やめろよ!!」
「んー。風呂上がりのいい匂い~。おまえが素直に揉ませてくれねェからサッチ隊長自らが赴いてやったのに、そんな言い方する?」
「意味わかんねェよ!」
「ったく。何やってんだい」
マルコの声に、サッチの瞳が意地悪く光る。この男は、わざとやっている。
「ん? おれの心の傷をエースに癒してもらってんの」
「鋼鉄の剛毛のくせに傷なんかつくかよい」
「ひっでェなぁ。大体さ、おまえこそおれたちのシモ事情とか聞き出して、エースに何を吹き込もうとしてたワケ?」
「エースに変なことを吹き込んでんのはおまえだろい」
「人聞きの悪い隊長サンだなァ。おれだって何百人の部下を持つ身だぜ? かァわいい子ねこちゃんに、そんなことするわけないだろ?」
「あ、そうだ。聞いてくれよマルコ。今日さ、ラウンジでサッチがイゾウにキスされてた」
「ほう」
そう言えば、今朝は寝起きの悪いイゾウが随分と上機嫌だった。サッチへ目を向けると、記憶を抹消したがるかのようにぶるぶると首を横に振っている。
「だァアア!! あれは事故だっての! おまえ何でそういうこと言うの!」
「どうでもいいけど、イゾウが超かっこよかった」
「ほんとにどうでもいいねい」
なるほど、きっかけはそれだったのかとマルコは独り合点した。そんなものを見せられたら、若いエースは混乱するばかりだろう。風紀を乱すリーゼントには仕置きが必要だ。
「おれはね、エースくん。お姉ちゃんが好きなの。いや、マダムとかでもイケるけど、女が好きなの。もしくはおまえみたいな可愛い男の子だったらやぶさかでは……ギャッ!!」
数瞬後、天下の4番隊隊長の身体は、ドアを易々と突き破り大部屋へと格納された。
「くだらねェこと言ってんじゃねェよい。さっさとイゾウに掘られちまえ。エース、バカがうつるといけないから、片付くまでおれの部屋にいろ」
「うん」
サッチの女好きは今に始まったことではないが、彼自身も気が付いていない感情と性癖をそろそろ自覚すべきだとマルコは考えている。でないと、このままではエースの情操に影響を及ぼしかねない。
通りがかった4番隊の部下に「修理代はサッチにつけろと大工に伝えといてくれ」と伝言を頼み、マルコはエースを連れて自室へ戻った。
「で、恋ねェ」
帰り道に厨房でもらったホットミルクにブランデーを落としたものを渡してやり、ふうふうとマグに息を吹きかける末っ子を見ながらマルコは再び思案した。
「なんかさー、サッチ見てたら分かんなくなった」
「見る相手を間違えてるよい。まだイゾウの方がマシだ」
「イゾウも超モテるから、よくわかんねェ」
「まぁ、そうだねい」
マルコからすればあの二人の思考など丸見えなのだが、年若いエースにはどだい無理な話だろう。
ブランデーの入ったグラスをぐるりと巡らせ、マルコは瞳を閉じた。
「……。強いて言うなら、『気が付いたらそこにあるもの』かねい」
そうだ。気が付けば目の前にあったそれは、マルコの感情を酷く引っ掻き回す。それが恋であることを認めるのに、随分と時間を要したのも事実だ。
「……難しいな」
「おまえはまだ若いし、気にすることはないと思うよい」
ぽんぽんと頭を撫でてやり、マルコは自分の欲を力づくで抑え込んだ。
「ん~。分かった。多分その時になったら分かるかな」
「おまえは賢いから、きっと分かるよい」
「そっか。じゃぁいいや」
再び笑顔が戻ったことに、マルコは安堵した。この男には、太陽と笑顔がとても似合う。
じゃぁおやすみ、と手を振って出て行く末っ子を見送り、深いため息をついた。
年月を重ねてからの「恋」は、とても厄介だ。
「やぁエース。今から寝るのか?」
大部屋に戻る途中で、今度はイゾウに出くわした。昼間はきっちりを結い上げていた髪の毛は、今は独特の紐のようなもので後ろで緩く纏められている。
「うん。サッチが大部屋ぶち壊したからさ」
「災難だったな」
「それはいいんだけどさ。イゾウにも聞きたいことがあるんだ」
「うん?」
何だかんだで優しいこの兄も、エースは大好きだ。彼の見解もぜひとも聞いておきたい。
「イゾウにとって、恋ってどんなモン?」
「はは、面白いことを聞くなァ。そうさな……」
腕組みをする手をとんとんと指で叩き思案する姿も、嫌味がなくてかっこいい。
「『相手の逃げ道をとことん断つこと』だな」
「そっかぁ。イゾウらしいな」
外見とは真逆なほどに男らしい彼が、エースはやっぱり大好きだ。気持ちがすっと軽くなったところで「おやすみー!」とイゾウに手を振り、皆に愛される末っ子は大部屋へ戻って行った。
「ふふ。色恋ほど楽しいものはないな」
自身にしろ、他人にしろ、眺めていてこれほど楽しいことはない。今朝の首尾も上々だったし、マルコとエースからも近々面白い話が聞けそうだ。白ひげ海賊団きっての美丈夫は、部屋に戻ったらとっておきの刻み葉を出そうと歩きながら、異国の言葉を上機嫌に口ずさんだ。
L’amour vit d’inaniation et meurt de nourriture.
(おわり)
------------------------------------------- 恋は空腹で生き、満腹になって死ぬ。 -アルフレッド・ルイ・シャルル・ド・ミュッセ-
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