むかしむかしあるところに、サッチという男が住んでいました。男一人で小さな小屋に住み、暮らしは大層貧しいものでしたが、心優しい彼はそれなりに楽しく暮らしておりました。
ある日、サッチは田んぼの真ん中で罠に掛かった鶴を見つけました。苦しそうに羽を広げるその姿に心を痛め、急いで駆け寄ります。
「やぁ可哀想に。どれ、すぐに外してやるからな」
声を聴いて不思議と大人しくなった鶴に笑いかけ、サッチは手早く罠を解いてやりました。鶴は解かれた足を見て確かめるように数度羽ばたき、最後にサッチをじっと見つめて大空へと飛び立っていきました。
怪我がなくて良かったと、サッチはその美しい姿を見送りました。
しんしんと雪が降る晩でした。遅くに誰かが戸を叩いています。
「夜分に申し訳ありません。開けてくださいませ」
聞き慣れぬ女子の声に、サッチはそっと戸を開けました。目の前には透き通るような肌の色をした美しい女性が立っています。
「つうと申します。この雪で道に迷ってしまいました。どうか一晩泊めてください」
「それは大変だ。こんなあばら家で良ければ雪をしのいでください」
困っている人を目の前にして、サッチに断る理由などありません。大慌てで招き入れて温かい茶を淹れ、丁寧にもてなしました。しかし相手は妙齢の女性。いくらこんな事態でも同衾するわけにはいかないと、サッチは一番温かい囲炉裏の傍に布団を敷いてやり、自分は奥の間でわらを被って夜を明かしました。
翌朝、サッチは良い香りで目が覚めました。部屋へ戻るとつうは既に起きており、朝食の支度が整っておりました。よく見ると、部屋の中もきちんと掃除がされています。長い独り暮らしだったサッチにとって誰かが作ってくれた食事を食べるのは久しぶりで、いたく感激しました。
雪は一向に止む気配がなく、つうはその間甲斐甲斐しくサッチの世話をしました。こんな娘さんがそばにいてくれたらなぁとサッチも幸せな気持ちになりました。しかし雪が止んでしまえば彼女は出て行ってしまいます。そして三日三晩降り続いた雪が止み、久方ぶりに朝日が小屋の中に降り注ぎました。ああ行ってしまうのか、と落胆するサッチの前でしっとりと正座をしたつうは、頭を下げて言いました。
「身寄りのない娘です。どうぞこのまま置いてください」
サッチは今まででこれほど嬉しいことはありませんでした。そして二人はめでたく夫婦となりました。
夫婦となった二人でしたが、これまでと変わらず仲良く暮らしておりました。そんなある日、つうがサッチに「機を織りたいので街で糸を買ってきてください」と頼みました。滅多に頼み事などを口にしないつうの願いに、サッチは奮発して糸を買って渡しました。つうはその糸を手に奥の間へと向かいます。
「決して、中を覗かないでください」
そう言ってつうは奥の間へ入ったきり二晩出てきませんでした。サッチが心配した三日目の朝、つうが美しい反物を手に奥の間から出てきました。どことなくやつれた感じがする彼女は、美しく笑い言いました。
「この反物を売って、そのお金でまた糸を買ってきてください」
サッチは言われるがままに反物を持って街へ出ました。すると反物を見たある商人が「何と美しい鶴の千羽織でしょう。どうか譲ってください」と高値で買い取ってくれ、サッチはこれまで見たことがない大金を手にしました。
新しい糸を買って帰り顛末を報告すると、つうはやはり美しく笑うだけでした。そしてサッチが買ってきた糸を手に、再び決して覗くなと言って奥の間へ籠りました。
そんなことが何度か続き、サッチはお金に苦労することがなくなりました。暮らし向きもよくなり、以前より少しですが贅沢も出来るようになりました。しかし日に日にやせ細っていくつうが心配です。もし布を織ることでやつれていくならもう止めてくれと言いましたが、つうは機(はた)織りをやめませんでした。
そしてとうとう、ろくに歩けなくなったつうが制止を振り切って奥の間へ入り、サッチは我慢が出来ませんでした。決して覗くなと言われていましたが、以前からどのようにしてあのような美しい反物が出来るのかが不思議で仕方ありませんでした。しかしそれ以上に、サッチはつうのことが心配でした。
「少しだけ。少しだけだから」
とうとう、サッチは覗いてしまいました。
するとどうでしょう。中にはげっそりとやつれた鶴が一羽いるだけです。鶴は自分の羽根を抜き、長いくちばしで機に織り込んでいました。その姿にサッチは絶句しました。つうは自分の身を削ってサッチのために反物を織っていたのです。
「何でそんなことを……」
サッチの声に、鶴が気づきます。
「見てしまったのですね……」
鶴の身体がまばゆく光ります。光の先には、日本髪を結い切れ長の目に真っ赤な紅を指した、それはそれは美しい「男」が立っていました。
「……へ? え?」
てっきりつうが出てくると思ったサッチは仰天しました。
「いや……おまえさん、誰だ?」
全く見覚えがない姿に、サッチは間抜けな問いしか出来ません。
「田んぼで罠に掛かったところを助けてもらった鶴だ」
凛としたアルトが自己紹介をします。
「いや、あの、それは何となく分かるんだけど……」
「男よりは、女子の方がいいだろう。気を利かせたまでだ」
「や、まぁ、そうだけど……」
鶴の気の利かせどころがさっぱり分からないサッチは、曖昧に返事をしました。
「それよりも、見るなと言ったのに見たな」
「はァ……すいませんでした」
ものすごい威圧感に、サッチは素直に謝りました。
「けどよ、やせ細っていくつうが心配だったんだよ。金とかじゃなくて、おれはつうが側にいてくれたらそれで良かったんだ」
「その割には同衾もせず、手出しの一つもしなかった」
鶴の言う通りでした。つうがこの家に住むと決めてサッチが最初にしたことは、彼女のために布団を用意することでした。二人は囲炉裏を挟んで二組の布団で夜を明かしていたのです。
「や、だってよ。あんなべっぴんさんがおれに惚れてくれるなんて万が一にもないだろうってなァ」
「まさかとは思っていたが、やはりそうか」
「は?」
「最初から言ってくれれば、こんな小細工などせずにすんだのに」
「何の話だ?」
「だから、おまえは男色の気があるのだろう?」
「はァ!?」
突拍子のない指摘に、サッチは声が出ません。確かにつうに手こそは出しませんでしたが、サッチは基本的には根っからの女好きです。
「バ、バカやろう! おねーちゃんのがいいに決まってんだろ! つうはほら、その、なんつーか、高嶺の花っつーか、そんな感じでだな!」
「言い訳などよい。愛いやつめ」
ふふ、と意味深に笑う美丈夫についと顎を持ち上げられ、サッチはぞぞっと鳥肌が立ちました。ですが、そのやつれた手を振りほどくことが出来ません。逆に細腕をそっと掴み、言いました。
「……バカだなァ。おれなんかの為にここまで痩せちまってよ」
しん、と家が静まり返ります。まるでつうが来た夜のようでした。
「……惚れた」
「……はい?」
「おまえを娶る」
「へっ!?」
突然の宣言に、サッチは再び間抜けな返事をしました。
「何でそうな……うぶっ!!」
どすんと煎餅布団に押し倒され、サッチはこの男が本気であることを察しました。
「ちょ、やめろって! おまえアレだろ! ここは『正体がバレたからには一緒にいられません』とかって飛んでいくとこだろうが! さっさと飛んでいっちまえよ!!」
「そんな勿体ないこと出来るか。正体がバレたのなら仕方ない。居直るまでだ。ああ、おれの名はイゾウだ。以後よろしく頼む」
「図々しいこと言うなってんだ! こら! やめろって!! アッーーー!!」
そのまま朝まで散々に啼かされたサッチでしたが、イゾウの熱烈なアプローチに根負けし、一緒に暮らすことになりました。その後もイゾウは時折はたを織り、二人は喧嘩をしながらも楽しく暮らしましたとさ。
(おしまい)
------------------------------------ 2016.1.10 CC大阪104 無配
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