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執筆者の写真丘咲りうら

グラディートな人生!(7/13)

「エネルギー切れだ。チャージしにきた」

 繁忙期真っ最中のはずのイゾウが、定休日の『グラディート』に突然やってきた。寸法あわせの帰りに寄ったらしいその姿はベッピンには変わりないが、どちらかと言えば柳の木の下にゆらりと立っていそうな風貌にサッチは若干ビビり、厨房で作っていた試作品たちと共に2階の自室に招き入れた。愛想のない部屋だが、別にムードを求めるわけではない。食事はミニテーブルに、酒瓶は行儀悪く床にじかに置き、ベッドを背もたれにして並んで床に座った。

「この時期は、毎年こんななのか?」 「今年は特に忙しい。まァ、この稼業で忙しいってのは、ありがたいとしか言えねェがな」 「ヒヒ。いいことじゃねェか」

 エネルギー切れとは言っても、サッチのサポートでイゾウは普段の繁忙期よりは遥かにきちんとした食生活を送っていた。つまりは気力が切れたということで、食べたり飲んだりしながら、互いに近況報告をした。特に最近のマルコのエースへの溺愛ぶりはいい話のネタになり、時間が経つにつれてイゾウの目にはいつもの力が戻り、生気がみなぎってきた。

「あ~。飲みすぎたな。ワインも開けるか?」

 矛盾することを言いながら、サッチが下から持ってきたワインに手を掛けた。肉でも魚でも合う、よく言えばスタンダード、悪く言えばありきたりなラベルの白ワインだ。

「気を悪くするかもしれないが、聞いてもいいか?」 「おう、なんだ」  サッチは上機嫌でオープナーをワインのコルクに差し込んだ。

「あんたの店さ、何でワインには力を入れてないんだ?」

 シンプルな質問だったが、サッチの手を止めるには十分だった。気圧に負けたワインの栓だけが、ポンと小気味良い音を立てた。

「あ~……。そこに触れちまうか」  痛いところを突かれた。サッチの顔にはそう書いてあった。

「気に障ったなら答えなくても構わねェ。ただ、こんだけの料理を出してるのに、通り一遍のワインしか置いてないのかが気になってな。あんたほど器用な男なら、ワインに精通していてもおかしくないのにと思ったんだ」

 『グラディート』はバルもやっているので一通りの酒は揃っているし、サッチはシェイカーも振る。ワインも素人や知ったかぶりの客の目を誤魔化す程度の銘柄は揃えているが、フードメニューとワインのパワーバランスが釣り合っていない事に、イゾウは薄々気付いていた。

「気に障ったとか、そんなんじゃなくてな。……あ~。もー、いいか。おまえさんだから言っちまおうか。昔な、好きだった子がソムリエでな。それこそ一流の腕を持ってて、ゆくゆくは彼女と所帯を持つことまで考えてたんだけどよ」 「……別れちまったのか」 「普通に別れたんだったらいいけどよ。ほら、前に話しただろ。共同経営の相方の話。あいつについて行っちまったんだ」 「は? あんたの女じゃなかったのかよ」 「さァな。あいつの彼女でもあったのかねェ。とにかく彼女は、菓子を作るぐらいしか取り柄もないおれよりも、金も地位もあるあいつの方を選んだってこった。もう7年も前の話さ。カッコ悪ィだろ」

「……悪かった」  軽く聞いてもいい話ではなかった。イゾウは素直に謝った。 「謝られたら居心地悪ィよ。それに、ワインの指摘はおまえさんの言うとおりだ。まだお客にバレたことはねェがそれも時間の問題だろうし、マルコにもまだ引きずってんのかって言われてる。それなりには勉強したんだが、やっぱりそれ以上になると、な」  おれの代わりに、エースが勉強してくんねェかなぁと笑うサッチに、イゾウはこれ以上聞くのはマナー違反だと思ったが、どうしても今確かめておきたいことがあった。

「失礼ついでに、もう一つだけ聞いていいか?」 「おう、なんだ。怖ェな」  サッチはグラスにワインを注ぎながら続きを促した。

「あんたが彼女を作らなくなったのは、その女が原因か?」

「おま……マジでそれ聞く?」  口調こそ軽いが、サッチの顔色が明らかに変わった。また傷つけてしまったかもしれない。だがイゾウは、いい加減前に進みたかった。  じっと見つめる切れ長の瞳の力に押され、サッチは諦めてため息をついた。

「……そうだ。マジで惚れてた。あいつ以上の女は、どこ探してもいねェよ」

「まだ未練があんのか?」 「いや? ヨリを戻したいとは思わねェよ。こっぴどく振られたからなァ。次に同じことをされたら、マジで立ち直れねェ」  ヒヒっと冗談めかして言うが、本心なのだろう。その言葉の裏に期待を見出したイゾウは「これはおれの独り善がりかもしれねェが」とさらに押した。

「あんたがおれと付き合わない理由って、もしかして野郎同士とかって関係ない?」

「……おまえさん、今日はやたら押してくるなァ」  茶化して誤魔化そうとしたサッチに、イゾウは焦れた。 「言ったろ。おれはあんたが欲しい。あんたが踏み切れないのがマイノリティじゃなくて過去のトラウマってだけなら、おれは全力であんたを口説く」 「や、今までだって大概口説いてたじゃねェか」 「あんなもんは序の口だ。どうなんだ? おれが男だからダメなのか、そうでないのか」

 先に目をそらしたのは、サッチだった。

「その……おまえさんが男ってのはあんま関係ない、かな。けど、セックスってのはまだキビシイかもしれねェ。それになァ……やっぱこの年でイチからオツキアイとなるとなァ」

 この期に及んで、サッチは本心を隠した。7年前の出来事は未だにサッチを苛んでいた。店の云々や金の行き先よりも、彼女が自分の元を去っていったことが一番の痛手だった。まだ"過去"に出来ていない自分を、サッチは見せることが出来なかった。

「マルコだって、あの年で親子ぐらい離れたエースと先に進んだろ」 「あいつは昔からうまくやるやつだったさ。まァ年貢の納め時だろうが」 「あんたもおれで納めとけ」 「おま……、ほんとに今日は押すなァ」 「今押さないで、いつ押すんだ。あんたがおれの最後の相手だ。あんたに振られたら、哀れなおれは一生独り身だ」 「おいおい。おっさんを脅すなよ。若い身空で何言ってんだ」 「これぐらい言わねェと、あんたは踏ん切りがつかないだろ?」 「……おまえさん、しつこいって言われないか?」 「マルコには蛇みたいだと言われたな」 「ぶっ! 本人に言ったのかよあいつ」  思わず吹き出した。イゾウも「妙に納得しちまった」と笑った。

 腹を抱えて笑うサッチの頬に、手入れしてあるのだろう、柔らかい唇が甘く触れた。

「……どうこうしねェんじゃなかったのか?」 「同意を得られなければ、な」 「同意なんてしてねェぞ」 「おれは同意と受け取った」 「強引すぎるだろ」 「おれがどんだけ待ったと思ってんだ」 「知るかよ」 「けど、あんたは逃げない」 「今逃げたら、懐の裁ち鋏でチョキンとやられそうだ」 「賢明な判断だと思うぜ」

 ふわりと香油が漂った。意外とたくましい肩に抱きこまれた。

「キスしてェ。あんたが気持ち悪ィって思ったら、すぐやめるから」  けど、出来れば逃げないでくれ、と唇を重ねられた。

 イゾウのキスは気持ちよかった。口腔をゆったりと探られながら、キスってこんなにイイモンだったっけなぁとサッチは思った。  お姉ちゃんたちとはほとんどキスはしない。情の入ったキスなんて、それこそ何年ぶりだろう。そう思った瞬間、腰がずくりと妖しく震えた。それが何を意味をするのかは、男を長年やっているサッチには容易に分かった。

「……サッチ」

 甘く囁くイゾウは結った髪が乱れ、扇情的だ。紅を差した口紅は、欲するようにつやつやと濡れていた。このまま先へ進んでも、それはきっと自然なことだ。でも何か違う。このまま流されたら良くない気がするという漠然とした違和感が、再び近づいてきた彼の肩を静かに押した。

「……悪い」 「……ん。オーケー」

 イゾウはホールドアップし、約束どおりサッチの身体から離れた。さすがに気まずい空気が流れる。バージンの若い女の子でもあるまいし、イゾウは呆れただろうか。

「勘違い、すんじゃねェぞ。気持ち悪ィとかじゃねェから」 「ああ。がっついちまった。すまん」 「謝るなって。……あ~。最近ご無沙汰なんだ。このまま酒の勢いでヤっちまったら、おまえさんに悪い」 「"愛しのお姉ちゃん"は?」 「ここんとこ、日曜の晩は大人しかったぜ。野郎の女装姿を浮かべながらお姉ちゃんを抱けるほど、おれは器用じゃねェんでな」  ぽかんと呆けた顔が、くしゃりと笑った。今までに見たことがない、幼い笑顔だった。 「……信じらんねェ」 「あんだけ押しといてよく言うぜ」  ヒヒっと笑ってグラスをイゾウに手渡した。

「じゃ、一歩前進ってことで」

 グラスを掲げる"美女"に、サッチも倣った。 「おっさんの貞操の危機に」

 合わせたグラスの中のワインが、笑うように揺らめいた。  

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