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執筆者の写真丘咲りうら

グラディートな人生!(6/13)

あんたの弁当のおかげで早く終わったと笑うイゾウが『グラディート』に再び顔を出したのは、それから3日後のことだった。イゾウは以前より少し来る頻度があがり、必ずカウンター席の定位置に座るようになった。サッチの時間が空いたときには、お互いの話をぽつぽつとした。

 和裁士になりたいというイゾウに大反対し、彼が転がりこんだ出入りの仕立て屋にすごい剣幕で怒鳴り込んできた親に、『あんたたちの世界は、着物を理解する人間がいて初めて成り立つものだ』と師匠が守ってくれたこと。己の信念を貫いて修行に勤しみ、資格を取り、結果を出してようやく周囲に理解してもらったこと。師匠に「自分の仕立てた着物で舞うのがおまえの使命だ」と諭され、踊りとの両立を条件に工房を立ち上げたこと。しかしどちらも女が強いドロドロとした感情が渦巻く世界で、幼い頃から何となく自覚をしていた性癖がその環境で確固たるものとなったことに悩み、苦しんだこと。そんなイゾウにも師匠は理解を示してくれたこと。

「舞うのは好きなんだ。けど、それ以上に仕立てが好きなだけで。結局、親の脛を齧ってどっちつかずでやってるだけさ」

 イゾウは自虐気味にそういうが、サッチはそうは思わなかった。どちらも厳しい世界だ。両方の才能を持ち合わせているイゾウがどちらも欲しいと思うのは、自然なことだろう。

「お師匠さん、すげェな」 「職人堅気って人だけど、本当に尊敬している。ああ、お師さんは男だけど、恋愛感情はないぜ。そっち方面は本当に興味がなかったのになァ」 「それが何でおれに照準が合っちまったんだろうな」 「リーゼントだしな」 「リーゼント関係ないでしょ!?」

 以前ならさらりとした口説き文句でもしどろもどろに返していたが、完全に慣れてしまったのか、この程度の軽口なら返せるようになった。いいのか悪いのかは分からないが、こんな言葉遊びも楽しめるようになった。

 サッチも、ここに店を建てるまでのいきさつを話した。本当はもっと都心の一等地に、贅沢な素材をふんだんに使った高級パティスリーを建てるつもりだったこと。しかし共同経営をしようとしていた男に金を持ち逃げされたこと。そこから立ち直り、一念発起して色々なジャンルの料理を勉強してるときにこの元倉庫に出会い、無理をして『グラディート』をオープンしたこと。

「なァ。前から気になってたんだが、その目の上の傷ってもしかして」  イゾウにしては遠慮がちに聞いてきた問いに、サッチはヒヒっと笑った。 「ああ、コレな。金がどうのってモメたときにヤられちまった。痛かったけど、あの時は裏切られた傷の方が痛かったなァ」 「そいつ、今ものうのうと暮らしてんのか?」 「さァな。おれはもういいっつったんだけど、おれよりもマルコがキレちまって、多分どうにかしたんじゃねェかな。もう過去の話だし、おれには『グラディート』があるからもういいんだけどなァ」

 時には昼に、時には夜に、そして時には閉店後に。仕事の話やバカな話もしながら、互いの話をした。  それと同時並行して、二人は『グラディート』に現れなくなったマルコと全く連絡が取れなくなったエースを、静かに見守った。エースは何も言わなかったし、サッチもイゾウも根掘り葉掘りは聞かなかった。サッチはマルコの言いつけを守ったわけではない。仲立ちするべきではないと判断したからだ。こういう話は、第三者が入るとややこしくなるのはセオリーだ。空元気にもほどがあるエースの姿を見ながら「あのパイナップル野郎、戻ってきたらあの頭を散切りにしてやる」と呟くイゾウを、サッチはまぁまぁと宥めた。

 そのマルコが『グラディート』に再びやって来た日、サッチがエースにメールをする前に、虫の知らせでもあったのかエースがやってきた。しかし飄々と言い返すマルコにキレて、再び出て行った。滞在時間は、1分もなかっただろう。

「へェ。エースがあんなに感情出すなんてな」  マルコがつむじ風を追って渋々出て行き、オーナーと2人きりになった『グラディート』で、イゾウは優雅に紅茶をすすった。 「悪ィな。おまえさんがいるってのに」 「なァに、構わねェよ。おれにとってもエースは可愛い弟みたいなもんだ」  ふっと笑うその横顔にサッチは見惚れてしまい、いかんいかんと視線を逸らした。

「エースも、屈託がないように見えてそうじゃねェからな。バイト中でもたまにすげェ暗い顔するんだぜ」 「あいつら、案外似たもの同士かもしれんな」 「ヒヒ、言えてるなァ。まァエースはともかく、パイナップルの無表情百面相はもう見飽きたし、これでうまくまとまってくれるといいんだがな」 「おれもそろそろ、あんたとまとまりてェんだけど?」 「ば……っ、それとこれとは話が違うでしょ!」 「そうか? 色んな話が出来て距離が縮まったと思うが?」 「そりゃ……まァ。そうだけど」  もしょもしょと答えながら、本日のミニデザートを出した。イゾウが大好きだというアールグレイのシフォンケーキだ。話を変えるついでに、最近気になってしょうがないことを聞いてみた。

「なァ、おまえさんって、男物の服を着て外出歩いたりとかしねェの?」 「いや? 普通にスウェットとかでコンビニに行くが?」  何でそんなことを聞くんだと不思議顔のイゾウに、サッチはやっぱりなと思った。 「だってよ。うちに来るときって、いつもその格好だろ? 着物は色々違うけど」

 イゾウが『グラディート』に来るときは、いつも隙のない和服姿で来ることに、サッチは最近どうにも違和感を覚えていた。何と言うか、実は気を許してないのではないかという気になるのだ。 「この格好はおれのポリシーでもあるから、外出は基本的にこの格好だな。まぁ、よそ行きではあるけど」 「何でウチによそ行きで来るんだよ。家も近いのに」 「それとコレとは別だ。あんたの前では自分が仕立てた一張羅を着たいだけさ」  茶化そうとするイゾウに、サッチは「そうじゃなくて」と遮った。

「おれの店は、そんな着飾って来るような敷居の高い店じゃねェよ。おまえさんのベッピン姿もいいけどよ。その、気ィ張るような店じゃねェし。……たまには普段着で来いよな」

 最後は早口になってしまったが、いつぞやに食事を持っていくと言った時と同じように、イゾウは驚いた顔をしたあと、艶然と微笑んだ。

「ふふ。繁忙期が終わったら、そうさせてもらうよ」

 散々大騒ぎしたマルコとエースがめでたく恋仲になったのを見届けてから、イゾウは再び繁忙期に入った。サッチはイゾウの邪魔にならない程度に食事を差し入れた。折に触れてイゾウの職人としての強いこだわりや信念が垣間見え、サッチは『グラディート』へ戻る道すがらに「やっぱいい男だよなァ」と呟きながら帰ることが増えた。  同姓から見ても、イゾウはいい男だ。臆することなく好意を伝えるイゾウの言動は、確実にサッチの心情にも影響を与えていた。それこそ「別に付き合ってもいいかもしれねェなァ」と思うまでに、だ。実際にセックスが出来るか(それも自分が受身だ)と考えるとまだ厳しいが、人の慣れとは恐ろしいものだ。しかしサッチは、どうしてもそこから先に踏み込めなかった。

 実はサッチにとっての問題は、イゾウが男だからではなかった。幸せそうなマルコとエースを見ていれば、そんなことは些細なことだと思う。いつまでたっても先に進めないのは自分自身に問題があると、サッチはちゃんと自覚していた。

『あなたは一流のパティシエだけど、私はそれだけじゃ満足できないの。ごめんなさいね』

 "彼女"は悪びれもなくそう言い、独特の笑い方をするあいつと腕を組んで去っていった。追いかけることも怒ることも出来ず、無様に膝をついた弱い自分だけが取り残された。視線を落とすと、そこには自分の額から滴った血が溜まっていた。

「……っ!!」

 通販で買った開きっぱなしの折りたたみベッドの上で飛び起き、サッチはため息をついた。

 ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟り、ベッドを降りた。サイドボード代わりの衣装コンテナの上に置いてあったミネラルウォーターを手に取り、煽った。時計はまだ朝の4時だ。あと1時間寝れるが、とてもそんな気分にはなれない。

「あ~。……もう」

 ベッドに腰掛け、頭を抱えた。最近は見てなかったってのに、何だってこのタイミングで出てくるんだ。  やり場のない感情に、サッチは苛立った。

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