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執筆者の写真丘咲りうら

グラディートな人生! (5/13)

『グラディート』ではテイクアウトはやっていないが、エースや彼の弟の夜食用に店で余った料理を持ち帰らせたりもするので、テイクアウトできる容器はいくつか在庫がある。イゾウへのデリバリーもその容器を流用し、なおかつ、手軽に食べられるよう摘みやすいものを入れている。時にはおにぎりと玉子焼きだったり、時にはサンドイッチとピンチョス(と言っても、つまみではなくおかず系だ)だったりと中身は様々で、野菜もふんだんに使った。エースに「これそのまま弁当にして売ればいいのに」と呆れられるほどの出来栄えの食事を、仕事の合間を見計らって工房へ届けた。交わす言葉は一言二言で、サッチは作業に専念するイゾウの姿をこっそりと眺めてから『グラディート』へと戻った。

「もう少しで一段落つくんだ。よかったら茶でも飲んでいかないか?」

 そんな誘いを受けたのは、3度目に食事を届けた時だった。『グラディート』は定休日。特に予定もないので、サッチはありがたくご馳走になることにした。  初めて足を踏み入れた工房の壁には、色鮮やかな着物が所狭しと掛けられている。部屋の中央には、前に覗き込んだときと同じように低い台が置いてあり、そこには長襦袢らしき着物が広げられていた。狭いが適当に座ってくれというイゾウに遠慮しいしい、壁にも台の上の着物にも触れないスペースにゴツい身体を小さくして座った。

「なんつーか……華やかな部屋だなァ」 きょろきょろと見回し、その絢爛さに溜息をついた。 「見た目は華やかでいいが、作業は気が狂うほど地味だぜ」  そう笑うとイゾウは台の前にあぐらをかいて作業を再開した。以前見たときと同じように左足の親指で反物を挟んでぐいと引っ張り、反物を波打たせて針へと通していく。針も糸も普通の裁縫よりもかなり細く、簡単にこなしているように見えても技術が必要な作業であることは素人のサッチにも分かった。しばらく見ているうちに、サッチは和裁士という仕事が案外力が要るということを初めて知った。裁縫イコール女性の仕事というイメージだったが、本来和裁というのは男性の仕事ではと思うほどイゾウの動きは力強いものだった。すごくかっこいい。サッチは素直に思った。

 やがて反物の端まで針が進み、きゅっと結んで糸を鋏で切った。そんな仕草までがいちいち様になる。切れ長の目がこちらを見た。

「……なァ。穴、開きそうなんだけど」

 苦笑するイゾウに、サッチは自分がイゾウを食い入るように見つめていたことに気がつき、ぶわりと首筋が熱くなった。 「あ! ……っ! 悪ィ。気が散ったか」  サッチの慌てぶりに、イゾウは笑った。 「いいや? そんなヤワな集中力じゃねェよ。惚れたやつにそこまで見られて悪い気はしないさ」 「ばっ……!!」  イゾウはクックと笑い、長襦袢を着物用のハンガー(らしい。随分と幅が広い)に通し、立ち上がって長襦袢を壁に掛けた。 「こっちが住居スペースだ。散らかってるが入ってくれ」  さらに奥の扉(こちらは和風でも何でもない、普通の引き戸だ)を開けて、中へと通された。

 住居スペースは若干雑然としていたが、男の一人暮らしにしては随分と行き届いた清掃がされていた。あまつさえ花まで活けてある。 「綺麗にしてンだな。おれの部屋と大違いだ」  何の気なしに言ったサッチに、イゾウは渋々と言った感じで答えた。 「……実家関係のお弟子さんが掃除に来るからな。けど、今の時期は集中したいから断ってる」 「え……!?」  じゃぁおれも邪魔だったんじゃないのかと言う前に、イゾウに遮られた。 「あんたはいいんだ。そもそもガキじゃあるまいし手伝いなんて不要なんだが、うるさいババァ連中がどうしてもと押し切って自分の娘を派遣するだけだ」  そう言い捨てると、イゾウは慣れた手つきでお茶を入れ始めた。いや、それって明らかにお嫁さん候補とかじゃないのかよと思ったがイゾウの背中はそれ以上の追跡を許さず、サッチもイゾウの動きを目で追ううちにどうでもよくなった。お抹茶とか出されたらどうしよう。おれ作法があやふやなんだけど思っていたが、出されたのは普通の煎茶で、ただすごく美味しかった。

「うまい」 「あんたに褒めてもらえるなんて、おべっかでも嬉しいな」 「バカ、本心だよ」 「ふふ。ありがとう」  イゾウも一口啜り、「ん。まぁまぁだな」と評した。

「……今日は、作務衣じゃないんだな」  サッチはここに来たときから気になっていたことを聞いてみた。工房にいる彼は女装ではないが常に作務衣を着ているのに、今日はラフにスウェット姿だった。こちらも悔しいほどに似合っているが、その姿で艶やかな着物を扱うのが何とも不思議だった。 「あんたはリーゼントじゃないと料理が出来ないか?」 「いや?」 「それと同じさ。別に作務衣を着なくてもやることは一緒だ。というか大詰めになると自分の着るものなんて気にしていられねェ。扱ってるモノがモノだけに身奇麗にはしとかねェといけないから、風呂には入るがな」  言われてみれば、自分だってオフの日はリーゼントにはしない。それと一緒かと思うと妙に納得した。  それよりも、イゾウの男臭い笑みに腰のあたりが落ち着かなくなった気がして、慌てて別の話題を振った。

「案外、力がいる仕事なんだな」 「意外とな。おれの仕立て方は男仕立てってヤツで、くけ台……ああ、布を引っ掛ける支柱なんだが、それを使わない仕立て方だから特に力が要る。技法的には難しいが、こっちのほうが力の加減も出来るし作業も効率がいい。女性がやっても男仕立てっていうんだが、まぁ少数派だな」  知らない世界の知識にサッチはふんふんと興味深く聞き入ったが、切れ長の瞳にじっと見つめられ、どきりと心拍数が上がった。

「あんた……職人が好きなのか?」

 ずばりと聞かれ、サッチは一瞬怯んだが、別に隠すことではないので肯定した。 「……ああ、まァな。昔から職人さんって好きだなァ。菓子でも鍋でも職人さんなら何でも魅入ったし、手付きを見てはワクワクした。変なガキだったぜ。仕立ては初めてだったから、不躾に見ちまった。悪かったな」 「いいや、職人やっててよかったと思ったぜ」  ヒヒっと笑うサッチに、イゾウもふんわりと笑った。いい男だ。その笑顔につられて、ついつい話を進めてしまった。

「オヤジに……っつっても育ての親なんだけどよ、ガキの頃に縁日に連れてって貰ったら飴細工の露天があってな。そこに何時間も張り付いて見ちまって、オヤジに『おまえも将来は職人にでもなるか』って言われてなァ。今思えばそこが原点だったんだろうな」  そしてその結果、菓子職人になった。ありとあらゆる技法を習得し、頂点を目指した。職場で意気投合した仲間と、世界一のパティスリーを作ろうと約束した。その夢は友の裏切りという一番辛い結末で夢のままで終わってしまったが。

「三つ子の魂百までってやつだな」

 同じ職人として通じるものがあったのだろう、イゾウは静かに言った。 「おれもそうだったな。男のくせにガキの頃から綺麗なモンが大好きで、綺麗な着物を着せてもらえるって理由で女形になったが、いつぐらいからか、着るほうじゃなくて作る方に興味を持ってな。親の大反対を押し切ってお師さんのとこに転がり込んだ。色々と世話をしてくれたお師さんには、一生頭が上がらねェ」 「お師匠さんって、こないだマルコがコーディネートしたってアレのか?」 「ああ。たまたまマルコと話をしてて、それならってことで頼んだ。評判も上々で、おれの仕事がシーズン外に激増したのもその流れだ。次回もぜひマルコに頼みたいってお師さんも言ってた。あんたの店でいい縁を貰ったよ」  店を褒められ、サッチはまるで自分が褒められたように嬉しかったが、言うべきことを思い出し慌てて居住まいを正した。

「あの……こないだの電話、悪かった」

 結局あれから言いそびれていた言葉を、サッチはようやく切り出した。 「電話? ……ああ、あれか。こっちこそ悪かった。ちょうど裁断の最中で手が離せなかったんだ。あれだけは失敗したら取り返しがつかねェんだ。愛想なしですまなかったな」  高級な反物だ。柄の配置や裁断を間違えると自腹どころではすまない世界なのだろう。そんな神経が研ぎ澄まされる瞬間に、故意ではないにしても悪いことをしてしまった。 「掛けるつもりはなかったんだ。その、なんつーか、勝手に掛かったっていうか」 「いつかやると思ってさ」  掛かった相手がおれで良かったとイゾウは笑った。  着信だって、あんただから出たんだと臆面なく言うイゾウに、何でこの男は菓子と料理ぐらいしか取り柄がない自分のことを好きだと言うのか。サッチはやっぱり理解が出来なかった。

 感情が顔に出ていたのだろうか。ふっと柔らかい笑みになり、イゾウは言った。 「あんたに無理を言ってるのは百も承知だ。けどなァ、おれは往生際が悪いんだ。あんただけは、諦めきれねェ」  厄介な性分だと向けられた笑顔にはどこか憂いがあった。サッチの心なぜかしくりと痛んだ。 「正直、おれにはおまえさんが好いてくれる理由が分からねェんだ。おまえさんに好かれる要素が、おれには見当たらない」 「あんたが見えてないだけさ。今は、あんたがおれを拒絶しないだけでもいいと思ってる。飯まで運んでもらって、そろそろ罰が当たりそうだ。まァできればもう少し先に進みたいと思ってるのも事実だが、こうやってあんたの話を聞けるのもおれは嬉しい」

「その、惚れた腫れた……じゃなくてよ。おまえさんのことを、もっと知りたいってのは……おかしいか?」  我ながら乙女発言だと思ったが、イゾウは笑うことなく受け止めた。 「いや。嫌われてねェだけ上等だ。おれもあんたのことが知りてェ。互いのことをもっと知って、そこからどうするかはまた考えればいい」

 穏やかな提案に、サッチは心の隅に開いていた穴がじわりと優しくふさがるような気がした。

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