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執筆者の写真丘咲りうら

グラディートな人生! (4/13)

「和裁士……着物縫う人か?」

 丁寧な仕事で作られたと分かる和紙の名刺の肩書きは「一級和裁士」とあった。

 月曜日の昼過ぎ、サッチは簡単な手作り弁当とシフォンケーキを持って名刺に記された住所に向かって歩いていた。イゾウの工房は『グラディート』から2つほど通りを抜けた場所にあった。歩いても10分は掛からない距離だ。こんなに近くに住んでいるとは。 あんな通話をしてしまった後なので正直顔は合わせにくいが、このまま疎遠になってしまうのは後味が悪いと思い、差し入れという形でイゾウの工房へ向かうことにした。

 着いた場所は今時の洒落た外観の戸建だったが、玄関の引き戸の横には生成りの帆布に藍色で「仕立工房 いざよい」とシンプルに染められたタペストリーのようなものが掛かっていた。おそらくこれが看板であり、暖簾代わりだろう。深呼吸を一つして引き戸に手を掛けると、それはからりと軽い音を立てて簡単に開いた。  中に入ると6畳ほどの畳のスペースがあり、その奥には外のタペストリーと揃いの暖簾が掛かっていた。しばらく待ってみたが出てくる様子がなかったので、呼び鈴に使われているのであろう風鈴の頭だけのようなものを手に取り鳴らしてみた。涼やかな音が耳に心地よかった。しばらくして、店の奥からイゾウの声がした。

「あぁ。悪い。もうすぐ出来るから、上がって待っといてくれ」

 おそらく出入りの業者と間違えて返事をしたのであろう。取り込み中であれば一声掛けて食事たちだけ置いていけばいい。サッチは軽い気持ちで靴を脱ぎ、中へ入った。おそらく着物を広げるスペースだろう。イゾウの声がした奥の部屋の暖簾を何の気なしにめくり、部屋を覗いてみた。

 そこには、サッチの知らないイゾウがいた。

 藍色の作務衣に身を包んだイゾウの唇に紅はなく、普段結い上げてある髪の毛はざっくりと後ろで束ねられていた。『グラディート』で見る彼とは全く違うが、間違いなくイゾウ本人だ。  ローテーブルよりも低い台の前に座り、胡坐を組んだ左足の親指で挟んで張った反物へリズミカルに針を進め、ある程度進んだところで糸を引く。その一連の動きには無駄がなく、美しかった。完全に集中しているらしいイゾウは、サッチに気付いていない。  しばらくの間サッチはその様子を見ていたが、はっと我に返ると彼の集中を切らさないようにそっと暖簾を戻し、持ってきた食事たちを呼び鈴の横に置くと、静かに靴を履いて工房を後にした。

「……あれは反則だ」

 なぜかバクバクとうるさい心臓を抱え、サッチは『グラディート』への道を急いだ。  あの一瞬で、サッチの知らないイゾウがたくさん見えた。情報過多なぐらいだ。いつもの艶やかさはなく、いかにも男堅気な雰囲気で仕事に没頭する彼の姿を思い出し、サッチはええいと頭を振った。

 サッチは職人が好きだ。自分が元は菓子職人なこともあり、同業だろうが他業種だろうが1本筋の通った職人気質の人間を見ると、どうしても目が行ってしまう。昔本気で好きだった彼女も、一流のソムリエだった。  だがどんな職人に出会っても、ここまで動揺することはなかった。きっと今まで謎のままだったイゾウのことがここ数日で色々と明らかになり混乱しているのだ。彼のことをもっと知りたいと思ってしまったのは、同じ職人としての興味本位だ。サッチはその仮定を無理やり飲み込んだ。

「よ、よう。いらっしゃい」

 翌日のランチピークが過ぎた頃、イゾウが『グラディート』に現れた。いつもの女装だったが、サッチはその後ろにあの素のままのイゾウが見えた気がして、その幻想を頭の隅に追いやった。

「昨日、来てくれたんだろ?」  イゾウの言葉尻は疑問形ではあるが、そこには確信が含まれていた。 「……おう。仕事が忙しいってこいつが言ってたから陣中見舞いに行ったんだけど、取り込み中だったからな」  慌ててカウンターに座っていた腐れ縁を引き合いに出す。マルコの顔には「捏造すんじゃねェよい」と書いてあったが、無視した。 「てっきり業者だと思って、ろくに見てなかった。声掛けてくれりゃぁ良かったのに」 「大した用じゃねェのに邪魔出来るかよ。コーヒー、飲むだろ?」  何かを見透かされた気がして、動揺を隠すためにイゾウのコーヒーを用意したが、 「せっかくだが、今日はこれから出かけなきゃいけねェんだ。繁忙期はもう少し先なんだが、急ぎの仕事が立て続けに入ってな」 「そっか。商売繁盛でいいことじゃねェか」 「確かにな。けどそのせいでここに急に来れなくなった。今日は、あんたの顔が見たかったから寄っただけだ」  どのようにも取れるセリフをさらりと言い、イゾウは笑った。マルコの表情は、怖くて見れない。 「ば……っ、バカなこと言ってんじゃねェよ」 「はは。あんたの顔を見ると元気になるのは事実さ。飯とケーキ、すげェ旨かった。ごっそさん。正直、繁忙期に入ると飯もおろそかになるから助かった」  そういえば、10日ほど見ないだけで随分とイゾウはほっそりとした気がする。 「どんだけ忙しくても飯は食えよ。飯食わねェのが一番堪えんだぞ」 「そうしたいが、どうも仕事に集中すると用意するのが億劫でな」 「ば……! そういうのが一番ダメだ! また持ってってやっから」  一瞬イゾウの目が大きく見開かれ、やがて目を細めて笑った。それはもう嬉しそうに。

「ふふ……楽しみにしとく」

 そういうと、イゾウは完璧な立ち居振る舞いで『グラディート』を出て行った。

 ドアベルの陽気な音がイゾウを追うように小さくなっていくのを、サッチは気まずい空気の中で聞いた。

「世話焼き女房か」  口火を切ったのは不機嫌オーラが漂うマルコだった。 「そんなんじゃねェよ」 「断ったんじゃねェのかよい」 「断るも何も、おれは最初からそんなつもりはねェって」 「あいつはおまえを諦めるつもりはねェよい。あのテの男は蛇みてェにしつこいぞ」 「蛇って……。おまえね、それはあんまりにもイゾウに失礼じゃないか?」 「おまえのどっちつかずの態度の方が失礼だと思うがねい」  ずけずけと言ってくる腐れ縁の言葉に「身に覚えがない」とは言い切れず、サッチは押し黙ってしまった。

「おまえは昔から職人に弱い。あの女だってそうだったろ」 「……そんなんじゃねェよ」  人の古傷に平然と蹴りを入れるマルコに腹が立ったが、長い付き合いだからこそ遠慮なく言い、過去の傷を持ち出してまで自分のことを心配してくれていることも理解していたので、サッチから出た言葉には勢いがなかった。

「……電話のこと、謝るの忘れちまった」  子供のようにしょんもりとするサッチを見たマルコが、付き合ってられないとばかりに溜息つき、席を立った。

「明日、あいつが来る。どうせ厄介な仕事を持ってくるが、エースに余計なこと言うんじゃねェよい」

 そのエースくんは、明日イレギュラーで入りますけどねと言いたかったが「余計なことを言うな」と釘を刺されたばかりだったので、サッチは言いつけを守って黙って見送り、肉しか食わない客人のメニューを頭のメモに刻み込んだ。

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