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執筆者の写真丘咲りうら

グラディートな人生! (2/13)

 閉店した『グラディート』の厨房で、サッチは一人考え込んでいた。

 惚れたって。惚れたって。イゾウは確かにそう言った。しかし、こちらは愛だの恋だのと話をするには、いささか年を取りすぎている。それ以前に、あんな格好をしているがイゾウだって立派な男だ。

『や……あの、おれ、男だけど?』 『ああ。知ってる』 『おまえさんも、男だよな?』 『ああ』 『あ~……その。別に偏見はねェけどよ。おまえさん、ソッチ系か?』 『女も抱けねェことはないが、どっちかというとソッチか。もともとそんなに色恋沙汰に興味はねェんだが、あんたは気になる』 『おれァ……ノンケだぞ?』 『だろうな』 『お姉ちゃん大好きだし』 『なァ。素人童貞ってマジ?』 『ば……っ! 何でおまえさんまで信じるの。この年でそれはマズイだろ。昔はちゃんと彼女もいたっての。けどこんなおっさんを相手してくれるなんて、もうお店のお姉ちゃんしかいねェだろ?』 『男の経験は?』 『あるわけねェ』 『そうか。前にも言ったが、おれは言いたいことは言わねェと気が済まねェんだ。別に今すぐあんたとどうこうなりたいとは言わねェよ』

 それだけ言うと、イゾウは「ごっそさん」と代金を置いていき、いつものように店を後にしたのだ。

「……言い逃げってズルいよな」  ちっとも進まない片づけの手を止め、サッチはため息をついた。しかし、こちとら根っからのノンケなのだ。返事が欲しいと言われても困るのも事実だ。

 確かに最初はイゾウのことを女性と間違えた。だが知れば知るほど、彼の男らしい一面が垣間見れた。白魚のようだと思っていた指は、よく見るとしっかりとした男のそれで、しかし細やかな動きが得意そうだ。エースのバカ話に一緒に大口を開けて笑う姿は、外見の澄ました印象を払拭した。

 今までどおりだとイゾウは言った。どうこうするつもりはないと。自分だってそうだ。イゾウは客だが、何となく気が合うツレみたいな感じになっていた。この心地良い関係を壊したくは、ない。

「……じゃぁ黙っとけよな」

 それが出来ない性分だからはっきりと口にして伝えたのは分かっていたが、言われた方としてはそうでも言わないとやってられなかった。  いい年をしたおっさんが、年下のちょっと綺麗な男に振り回されるなんて格好がつかない。それに、レンアイはもうしないとあの時に決めた。  結局いつもどおりに振舞うのが互いのためなのだろう。サッチはそう結論付けると、明日の仕込みに取り掛かるべく目の前の片付けに集中した。

 『グラディート』は月曜日が唯一の定休日だ。その貴重な休みをなるべく有効活用すべく、サッチは日曜の晩からフルスロットルで動く。  日曜日の閉店後に片づけを終えて街へ繰り出し、"愛しのお姉ちゃん"のところへ顔を出す。その手の店は、明け方まで開いていることが多い。特定の店や使命があるわけではない。その日の気分で店を選んで、飲んだり騒いだり、もう少し先まで進んだりと、つかの間の癒しを得るのだ。流した浮名は数知れず、その界隈で「月曜リーゼント」との異名が付いていることは、本人は知らぬが花だろう。  身体だけはスッキリしたところで明け方に店の2階の自宅へ戻り、仮眠を取る。自宅と言っても、元事務所だったところに作りつけられた申し訳程度のユニットバスとトイレ、茶を沸かすぐらいしか出来ないミニキッチン、家具らしい家具などはなく、テレビとミニテーブルだけが置いてあり、ツテで貰ったパーティションで区切ったスペースに安物のベッドがあるだけ。色気も何もないこの場所に、女なんて呼べるわけがない。

 『グラディート』をオープンした当時は、ある出来事のせいでとにかく金がなかったが、たまたま見つけた元倉庫に一目ぼれした。どうしても諦めることができなかったので何とかやりくりして改装してオープンにこぎつけた。店で使うものは妥協しなかった分、自分のプライベートスペースには金をかける余裕などなく、住んでいた住居を引き払い、「眠る場所があれば上等」と元事務所だったらしい2階の部屋にベッドだけを持ち込んだのがそのまま定着した。金に余裕が出来れば2階をリノベーションするなり近くに部屋を借りるなりしようと考えていたが、いざ店が軌道に乗ると、今度は時間がなくなった。しかしこれはこれで悪くはない生活だったし、そんなことに金を使うぐらいだったら客に還元したほうがいい。根っからの職人気質のサッチはそう考え、結局この環境を変えようとはしなかった。

 つかの間の仮眠を取ると、次は買出しだ。その週のランチの献立を考えたり、新メニューの考案などをしていると、あっという間に1日が終わる。翌日の仕込みをして寝るのは12時過ぎで、仕事の日の朝は5時には起きる。  こんな生活がかれこれ3年だ。彼女など、出来るわけがない。

 雇われ時代はそこそこモテたし、彼女(もちろん素人だ)だっていた。しかし仕事が好きなサッチは(彼女たちに言わせれば)相手をないがしろにしては振られ続けた。「仕事をするアナタは素敵だけど、私を見てくれるアナタに魅力を感じない」彼女たちはそう言ってサッチの元を去っていった。自分に甲斐性がなかったのだろう。サッチは彼女たちを責める事はせず、悪かったと詫びた。それでも懲りずに彼女を作ったが、今もトラウマになっているあの出来事が決定打となり、サッチは恋愛から手を引いた。

 今更、恋だなんて。サッチはヒヒっと自嘲気味に笑った。相手をしてくれるのは、自分の後ろの金を見ているお姉ちゃんぐらいなものだ。だが職業に貴賤なし。こんなおっさんでもきちんと相手をしてくれる彼女たちのプロ根性には恐れ入る。マルコのように仕事も遊びもうまくやる人間もいるが、自分にはこういった割り切った擬似レンアイで十分だ。イゾウの気持ちは嬉しかったが、とことんノーマルなサッチには、彼は気の合う友人としか捉えることが出来なかった。

 衝撃の告白の後も、イゾウは『グラディート』に立ち寄った。毎日来るときもあれば、2,3日姿を見せずにまたふらりと現れたりもした。いつでも凛としたあの艶姿で、カウンターに座って話をするときもあれば、気に入りらしい窓際のテーブル席で黙々と読書をしている時もある。気まぐれな猫のようだったが、付かず離れずの関係がサッチは心地よかった。

 夏休みは終日エースがアルバイトに入ってくれたおかげで、随分と楽になった。目論見どおりエース目当ての客も増え、売り上げも上々だ。

 ……まァ、あいつもエース目当てっちゃ目当てか。

 ほとんど毎日見るようになったパイナップル頭の幼馴染がエースをからかう光景もすっかり馴染みのあるものになった。マルコと会話をするエースの瞳が、以前の夜遊びしていた頃よりも随分と生き生きしてきたことにもひそかに安堵した。

 だからその笑顔が、ある定休日後にぎくしゃくとしたものに変わったことに気付かないわけがなかった。

「あァ。あいつら、ヤっちまったのか」

 蝉の声が途絶えた夏の日。サッチが見ているのも辛いエースの提案を聞いた翌日に『グラディート』に現れたイゾウは、マルコとエースを見比べるなり、こともなげにそう言った。

「え……おまえさん、分かるのか?」  一瞬で全てを悟ったイゾウに、サッチは少々面食らった。 「分かるも何も、エースなんて丸分かりじゃねェか」 「あ……あぁ、まぁな」  さすがお仲間、とは言わなかったが、何か通じるものがあるのかもしれない。

「……らしいわ。まったくあのエロパイナップル。あんな年下に手ェ出すかよフツー」 「ふふ。おれはマルコの気持ちがよく分かるぜ。ああ見えてあれはエースにベタ惚れだ」 「あ、やっぱり?」  さすがに本人に聞けなかったことをさらりと指摘したイゾウに、サッチは思わず同意を求めた。 「聞いても否定するだろうがね。さて、いつ落ちるんだか」  楽しそうに嘯くと、サッチは出されたコーヒーを旨そうにすすった。

「……おまえさん、なんつーか達観してるなァ」  年を聞けば自分よりは幾ばくか下だったイゾウだが、その考え方は自分がイゾウの年だった頃よりも落ち着いている。いや、今でも自分の方が落ち着きがないかもしれない。

「商売柄かね。人間ウォッチングが得意なのさ」

 そういえば、サッチはイゾウが何の仕事をしているのかを知らない。実家が踊りの家元で、今は家を出ているがたまにレッスンやら発表会やらに借り出されると言っていたが、本業が何かは聞いたことがない。客のプライベートを根掘り葉掘り聞くのもあまりよろしくないので触れないでいたというのもあるが、サッチは大いに興味があった。

「なァ、おまえさん、一体何の仕事してるんだ?」  思い切って聞いてみると、イゾウはちらりとこっちを見て、ふふと笑った。

「まぁ、カッコイイ言い方をすればクリエイティブ系か? 実際は、あんたに好意を抱いてるだけの地味な職人さ。」

「ば……っ、何でソコで絡めるんだよ」 「あんたに惚れてることには変わりねェよ」  この男の狡いところだ。普段は全く普通の会話をするのに、たまにこうやってサッチを口説きに掛かる。サッチはその度にあしらうが、イゾウのその言動には不思議と嫌悪感がなかった。言われすぎて慣れてしまったのかもしれないが。  ついでだったので、前から疑問に思っていたことも聞いてみた。

「……なァ。一応確認するけど、おまえさんの『好き』ってのは、"そういう意味"も含んでんのか?」 「もちろんだ。無理やりどうこうする気はないが、おれはあんたを抱きてェと思ってる」

「……はっ!?」

 何のためらいもなく即答したイゾウに、サッチは大きな声で反応した。カウンターの端にいた噂のパイナップル頭が「うるせェオーナーだよい」と苦言を呈したが、サッチには言い返す余裕がない。

 慌てて声を潜めて、サッチはもう一度尋ねた。

「ちょ、おまえさん、あのさ、抱きたいって……その、抱かれたい、じゃなくて?」 「あ? ああ、言ってなかったか。よく勘違いされるが、おれはタチしかやらねェ」 「タチって……ああ、男役か? ……って、おまえさんの中ではおれが」 「ネコだな。何なら、おれがあんたを頭の中でどうしてるかまで言ってやってもいいが?」 「……いや、遠慮しとく」 「聞きたきゃ、いつでも言ってくれ」

 ふふ、と笑い、イゾウは「今日のコーヒーも旨いな」とこの話を終わらせた。

 閉店後の『グラディート』で、サッチはまたもや頭を抱えていた。  人間の先入観とは恐ろしいもので、サッチはイゾウのあの姿で、彼の中にある肉欲は"抱かれたい"方だと思っていたのだ。しかし、どれだけ女物の着物を着こなしていても、黙っていれば和服美女そのものでも、彼の男としての人となりを知ってしまった以上、サッチはイゾウを性の対象として見ることは出来なかった。だからこその「そういう対象ではない」だったのだ。何度も言うがこっちだって男だ。おっさんだ。自分で言うのも何だが、肩幅も結構ゴツいし、髭だって生やしている。立派に男の身体だ。自分よりはるかに華奢なイゾウが自分に突っ込む側の欲望を持っているとは、誰が考えるだろうか。

「聞くんじゃなかった……」

 がっくりと項垂れて、サッチは洗い物に取り掛かった。

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