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執筆者の写真丘咲りうら

グラディートな人生!(1/13)

「へっ!? あんた、男?」

 オーナーの間抜けな声は、店中に響き渡った。

「ああ。こんなナリをしてるが残念ながらな。そのうち気付くかと思ったんだが」

 にやりと笑った"美女"は、なるほど確かによく見れば"野郎"だった。

 『グラディート』のオーナーシェフ、サッチが念願のこの店をオープンして3年。とにかく身を粉にして働いたのが功を奏したのか、最近は客の入りも上々で週末は予約が絶えなくなってきた。ずっと1人で切り盛りをしてきたが、そろそろホールにアルバイトを入れてもいいかもしれない。そんなことを考えながら忙しくしていた冬の日に、その客は訪れた。

 えらいベッピンさんだな。

 それがサッチの第一印象だった。艶やかな着物に日本髪を少し崩した髪型。唇には紅を引き、すらりとした長身で気品のある佇まい。いわゆる正統派の和服美人だった。窓側の席に座り、オーダーはメニューを指すだけで声は聞けない。それでもふんわりと香る椿油と焚きこめられた香の香りに、サッチは意味もなくドキドキした。  店が気に入ってくれたのか度々来店するようになったその美女に、サッチはちょっとしたデザートなどをつけるようになっていた。それはレディースサービスの一環で、他の女性客にもしていることだったので特に下心などがあったわけではない。女子とはスウィーツが好きな生き物だから、甘いものを食べられたら嬉しいだろう。ただそれだけの理由だった。  その美女が、今日はカウンター席に座った。お近づきのチャンスかと一瞬思ったことは否定出来ない。が、想像していた鈴を転がすような声とは程遠い、しかし凛とした綺麗なテノールで「いつもの」と喋った。  そして冒頭の驚愕したセリフへと続いたのだが。

「わ、悪ィ。あんまりにもベッピンだったから疑いもしなかった。今時、背の高い女性もいるしよ」

 慌てて言い訳をするサッチに、その男はクックと笑った。

「構わねェよ。間違えてもらってナンボの商売だ。むしろ自信がついた。けどなァ、毎度毎度サービスしてもらっちゃさすがに悪ィと思ってな。おれは言いたいことはハッキリ言わねェと気が済まないんだ」  そう言って笑う顔はおおよそ女性には見えない。今となっては何故気付かなかったのか分からないぐらい男らしいものだった。

「いやァ……面目ねェな」  目元の傷を掻きながら、サッチは素直に謝った。 「そう謝られたら、こちらこそ申し訳ねェ。イゾウだ。これからも寄らせてもらうぜ」 「サッチだ。本当は女の子限定なんだけど、あんたすげェベッピンさんだからこれからもサービスさせてもらうぜ」 「そりゃありがてェ」

 笑いあった冬の日は、まだ春が遠い雪のちらつく日だった。

「あ! こらバカ! おまえまた寝やがって!!」

 桜が散り、大型連休が目前に迫ったある日。

 飯を食ったまま寝てしまうという、不思議な特技を持っている青年がまさに顔を突っ込もうとしている特製ハンバーグを、サッチはカウンター越しに寸でのところで救出した。  ゴン、と机に盛大に額を着地させた青年が、んが、と起き上がった。

「……ってェ。あれ、おれ寝てた?」 「寝てた? じゃねェよ。おまえその食いながら寝るってのやめなさいって」 「だってよォ。サッチの飯は食いてェけど眠いし」 「食ってから家で寝ろ」 「それが出来りゃ苦労はしてねェよ」  まだあどけなさが残る青年はニシシと笑った。 「今も苦労なんざしてねェだろ。ていうかおまえ、どんな生活してたらそんなことになるんだ?」  サッチは呆れ顔で尋ねると青年は瞳をくるりと動かし、考える素振りをした。

「どんなって……。ガッコ行って、家帰って、弟にメシ作って食わせて、弟が寝たら遊びに行って? 帰ってくるのが2時とか3時? あれ? 4時だっけ?」 「遊びすぎだろ。一体どんな遊びをしたらそんな時間になるんだ」 「ダイガクセイは色々ヤりたいことがあるんデスよ。授業は一応全部受けてっけどさ。やっぱ眠ィ」 「は、モテる男はツラいねェ」  やれやれとサッチはため息をついた。エースはハタチになりたての大学生だ。溜まるモンは溜まるんだろう。自分にも覚えがある。それにしても、その年で特定の相手を作らず、その日の気分でお相手を選べるとは大したご身分だ。

「弟にメシ作ってやるなんて、いい兄ちゃんしてんじゃねェか。何でそこからまた遊びに行くんだ」 「や、だから暇だし? けど、そういう遊びもそろそろ飽きてきたかも」 「おまえね。そういうことをモテないおっさんの前で言うんじゃねェよ」 「サッチは彼女とかいねェの?」 「おれは、仕事とおねーちゃんへの博愛主義で生きてんの」 「なんだ。素人童貞か」 「んなワケないでしょ!! ガキが変な言葉ばっかり覚えやがって。おら、冷めるからさっさと食っちまえ」

 ついついエースのペースに乗せられ、いつも最後は漫才のようなやりとりになってしまう。「またおっさんがオネェになった」とゲラゲラ笑うエースを放置しカウンターの中央へ戻ると、反対側の席からクックと笑い声が聞こえてきた。

「大学生ってのはあんなもんかねェ。もっと色々考えてると思ったんだが」  ついボヤいてしまうサッチの言葉に、イゾウは笑った。 「まァ、あんなもんだろ。エースは、あれでもスレてないほうだと思うぜ」 「確かにな。あんまり良くない遊びだとは思うが」  本人がクールダウンしているこのタイミングに、すんなりとやめられたらいいのだが。

「あんた、バイト欲しがってたろ。スカウトしてみたらどうだ?」 「エースをか?」 「結局、弟のメシを作ったらやることがねェから遊びに行ってんだろ? その時間をここでのバイトに充てたら、夜遊びする時間も減るんじゃねェのか?」 「確かになァ」

 エースは器量もいいしダチも多い。あの太陽みたいな笑顔に引き寄せられる人間も多いだろう。最初は女との待ち合わせでこの店に現れたが、今やすっかり常連となった彼が『グラディート』でバイトをしてくれたら、確かに助かることも多いかもしれない。

「声、掛けてみっかァ」

 そういうのもいいかもしれねェなぁとサッチは考えながら、イゾウがオーダーした本日の日替わりコーヒーを淹れ始めた。

 サッチの提案にエースは二つ返事で飛びつき、無事交渉成立となった。しかし律儀にもバイト前日に挨拶に来たエースは、なぜか挨拶もそこそこにバタバタと走り去ってしまった。

「あいつのシフト教えろい」

 普段でも何を考えているのか分からない腐れ縁の幼馴染がそんなことを言い出し、自分が厨房に引っ込んでいたわずかな時間に一体何があったのだろうと不思議に思った。

「エースと、マルコ……だったか? あんたの幼馴染が何か喋ってたぜ」  一部始終を見ていたらしいイゾウからそう聞き、サッチはにわかには信じがたかった。

「へェ。あの朴念仁がねェ」

 他人に興味など持たず飄々と生きてきた幼馴染が、一瞬でも誰かに執着するなど今までなかったことだ。彼は当たり前のように『グラディート』に顔を出したが、来店は実に数ヶ月ぶりだ。この男はある日突然いなくなり、そして突然いつもどおりに顔を出す。長い付き合いなので、もう慣れたものだ。  そんな男の意外な行動に、槍でも降るのかと笑えば、イゾウが艶然と笑みを浮かべて言った。

「ありゃァ、くっつくかもしんねェなぁ」

「はァ? そりゃどういう意味だ?」 「そういう意味さ。見たところエースは思いっきりノンケだが、あんたの幼馴染はそうとは言えないんじゃないか?」

 幼馴染の性事情など知りたくもないが、うまく立ち回るマルコのことだ。女はおろか男とのラブアフェアなどもやってのけていてもおかしくはない。女の子が大好きな自分には全く理解できないが。

「はァ……そんなもんか?」 「そんなもんだ」  意味深に笑うイゾウに、サッチは何だか落ち着かなかった。

「なァ、ところでサッチ」  紅を引いた唇がきゅっと上がった。両肘をついてその唇の前で指を組むその姿は、とても様になる。

「おれも、アンタに惚れたみてェなんだけど?」

 まるで世間話をするようにそう告げたイゾウに、今度こそサッチの思考は完全に停止した。

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