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執筆者の写真丘咲りうら

釣られた魚の処世術(5/6)

酔いと疲労でゾンビのような形相になりながら厨房の後片付けをする部下たちを「あとはやるから、もう寝ろ。明日は頼むぜ」と追い出し、サッチは1人黙々と片づけを始めた。大所帯の宴の後の厨房は、はっきり言ってその最中より修羅場だ。だが何も考えたくない今は、山積みになった皿をひたすら洗うことに没頭出来てありがたかった。  磨き上げたシンクを満足げに眺めて厨房を出たサッチは、ボトルを手に甲板へ出た。酔いなんてすっかり醒めてしまった。甲板を撫でる夜風は先ほどの喧騒を薙ぎ払い、少しだけひやりとした空気を運んでくる。ふと先ほどまで雲で覆われていた空を見上げるとすっかりと晴れ、普段より断然大きい月が目前に浮いていた。

 イゾウは月が好きだ。やれ下弦だ上弦だと言っては月を肴に酒を飲んでいる。月しかないのにやたら嬉しそうに、ただ吞んでいた。  彼が遠征に行っている間も、月は出ていた。あいつも眺めてっかなァなんて考えながら何となくジョッキを傾けていたことは、イゾウには内緒だ。

 家族で、同じ野郎で、四六時中ツラ突き合わせて生活してたら、コイビトなんつっても飽きて当たり前だよな。それか、思ってたようなイイモンじゃなかったか。

 イゾウのドライな性格を考え、サッチは達観した答えに辿りついた。こちらだけ情を募らせて、なんだかバカみてェだ。

「でもなァ。しょうがねェよなァ」

 これが最後だと大きなため息をつき、サッチは空になった酒瓶をジャグリングよろしく回しながら自室へ戻った。

「よォ、4番隊隊長様。お早いお帰りで」 「……ンだよ。寝ろつっただろ」

 自室のベッドには、先ほど寝かしつけたはずの16番隊隊長がどかりと座っていた。口には嫌みを、手にはバーボンのボトルがしっかりと握られている。

「ああ! おれのとっておきじゃねェか!」 「固いこと言うな。今日はおれの誕生日だ。とっておきを出すには相応しいだろ」 「もう日付が変わってんだから、おまえの誕生日は終わったの! またのお越しをお待ちしておりますってんだ!」

 慌てて取り返したが、時はすでに遅し。サッチは、半分以上飲まれてしまった秘蔵のバーボンを泣く泣く備え付けの棚に戻した。

「ああ、なんだ。もう日が変わっちまったのか」

 つまんねェの、と子供っぽい口調になるイゾウに「いつまでも王子様でいると思うなよ」とサッチは毒づいた。早くベッドに転がりたいのに、この男はちっとも動こうとしない。仕方がないので椅子に座り、もう一度説得を始めた。

「おまえ何なんだよ。疲れてんだろ? さっさと寝ろよ」 「疲れマラで眠れねェ」 「その顔でマラとか言うなって」

 ふざけた会話の中に、イゾウの意志が見えていた。こっちが必死になって引き延ばしている答えを、彼は「今」欲しがっている。

「……なァ、サッチ」

 ふと見たイゾウの瞳が、揺れた気がした。

「バーボンの礼に、おれのとっておきの秘密を教えてやるよ」 「へェ。面白そうだ。寝物語に拝聴するぜ?」

 これは変わった趣旨だ。虫が出ようがオバケが出ようが全く動じないこの男の弱点が、今軽率に明かされようとしている。

「おれは、あんたが怖い」 「……へ?」 「油虫だろうが魑魅魍魎だろうが、そんなもんは微塵も怖くない。けど、あんたに愛想を尽かされるのが、あんたの心がおれから離れてしまうことだけは、何よりも怖い」

 何て返していいか分からないサッチに視線を合わせることなく、イゾウは続けた。

「元々あんたはおれに気なんてなくて、無理矢理振り向かせたのは分かってる。手に入れたのに不安で、本当はおれのことなんて何とも思ってないけど付き合ってくれてンじゃないかとか考えちまう。だから離れてる間に、愛想を尽かされても仕方がないと思っていた」

 認めたくはないけど、と付け加えるイゾウは、先程までの豪快な男には到底見えなかった。  ぽつりとこぼれたそれは間違いなくイゾウの本音で、向かうところ敵なしの16番隊隊長の唯一と言っていい弱点だった。  意外な真実を聞いて困ったのはサッチだ。てっきり「もうやめよう」とか「あんたに飽きた」とか「たった今から、あんたとはただの家族だ」と最後通牒を突きつけられると思っていたのに、本人の口から出たのは「嫌われるのが怖い」なのだから。これが陸の上の行きずりの恋人なら鼻で笑っていなせにかわせば済む話だが、相手は家族だ。それも家族以上の感情を持ってしまった特別な存在。変なところで生真面目なサッチには、到底流せるような事ではなかった。

「どんだけ任務を完璧にこなしても、自分の感情すらコントロール出来ない。重い存在にはなりたくねぇのに、あんたにだけはみっともなく執着しちまう。何が正解なのかわからねぇ。麗しの16番隊隊長サマがこの様さ。笑いたきゃ笑えよ」

 淡々と話すイゾウの言葉に、サッチの不安は安堵に変わり、やがて怒りになった。

「……やれやれ。天下の4番隊隊長サマも、甘く見られたもんだぜ」 「何がだ」 「何が悲しくて同情で野郎とセックスまでしなきゃいけねェんだ。おれはそこまで優しくねェっーの。大体よ、いくら難しい任務だからって、2ヶ月もの間音信不通とかありえるか? おっと、定時連絡は入れてたとか野暮なこと言うんじゃねぇぞ。それでなくても最近そっけないし、振り向かせといてそりゃねェんじゃないの?」 「……待ってた、とか?」 「……ってワケじゃねェけどよォ。こう、なんつーか、こんなに長期間離れることもないし、一応さ、こう、家族以上の仲なんだしよ……」 「連絡の一つぐらいあってもって?」 「あ~……まァ、な。って、いい歳したオッサンが言うことじゃねェよな。ハハッ」

 きょとんした表情はいつもの凛とした彼とは別人に見える。ちくしょう、反則だってんだ。

「きっかけこそおまえさんからの行き過ぎたアプローチだったけど、今はおまえさんに負けず劣らず惚れてるって自負はあるぜ? おれだってこの年で重荷になるつもりはないが、そう簡単に離れるつもりもないってことも、その賢い頭の隅に入れとけってんだ」

 目をぱちぱちと瞬くイゾウのなんと愛らしいことか。サッチは閉めたキャビネットからイゾウに飲まれたバーボンを取り出し、ぐびりと喉に流し込んだ。こんなこと、とてもじゃないけど酩酊でもしないと言えない。くそう、早く回れよ。

「……まァ、なんつーか、惚れたモン負けみたいな感じで悔しいけどよ」 「惚れた……もの?」

 言葉を反芻するイゾウに、サッチは居たたまれなくなった。

「あんまり気にすんなよ。今日は…‥あ~、日付変わっちまったけど、まァ、おまえさんの誕生日だからな。宴はしたけど個人的には何もしてねェから、まぁその、リップサービスだと思ってくれ」

 マルコといいイゾウといい、聡い男は嫌いだ。せっかくの生還なのだから、美酒に酔いつぶれて眠ってしまえばいいのに。実際口にすると、恥ずかしくて仕方ない。

「分かったら、今日は寝ろよ。正直16番隊の穴埋めは大変だったから、明後日からキリキリ働いてくれ。おまえさんがここで寝るってんなら、おれは大部屋にでも行くぜ」 「さっきから黙って見てりゃ、何でそんなに出て行こうとするんだ」 「だから言ってるだろ。おれがいたら、おまえが休めねェだろ。それにおれは、明日通常勤務なの。そろそろ寝かせろよ」 「断る」 「何で断るんだよ!」

 とうとうキレたサッチに、イゾウは再び肩を揺らして笑った。先ほどの不安そうな表情は少しだけなりを潜めている。トドメを刺すなら今だ、とサッチは思った。

「何でもかんでも勝手に決めやがって。おれって、結構一途なワケ。おムコに行けない身体にしといて、そりゃないんじゃねェの?」 「おムコって……あんた、バージンじゃなかっただろ」 「うっさいな。それとこれとは別だっての」

 ぶっと吹き出すイゾウはいつもの飾らないイゾウで、サッチは安心して続けた。

「おれも何が正解なんてわかんねぇよ? ただでさえ、いつ死んじまうかわかんない稼業だしな」 「出来れば先に逝ってほしくはないが、こればかりはな」 「それはお互い様だ」 「かといって心中する気もねェが」 「全くだ。あの世じゃきっと、セックスなんて出来ねェぜ」

 くくっと互いに笑ったその表情は、どちらも晴れ晴れとしていた。

「じゃぁまァ、これからもよろしくな?」 「こちらこそ」

 話がまとまったところで見事大団円だ。さぁ寝よう。このまま抱き合うには、お互い疲労が蓄積しすぎている。

「ああそうだ。もう1つ聞きたいことがあったんだ」 「んだよ。せっかくきれいにまとまったのに。手短に頼むぜ?」 「エースのあの質問はなんだ」 「……! あ~っ……っとォ」

 一晩に2度も自分の発言を後悔する羽目になるとは。何で聞いてしまったんだろうとサッチは悔やんだ。  じっとこちらを見る瞳は、先程よりも明確に答えを求めている。どう考えても逃げ切れる勝算はなかった。

「あれは、その、言葉のあやだ。おまえさんが居ないときに、エースが聞いてきやがったから適当に答えただけさ。だってあいつ、イゾウはトイレも行かないって割と本気で思ってたんだぜ? そこは否定しといたけどよ」 「なのに、何でおれがオナニーをしないことになってんだ」 「会話を終わらせたかっただけだってんだ。何で酒の席で野郎のオナニー談議で盛り上がらなきゃいけねぇんだよ。それにおまえ、そんな暇ねぇぐらいおれの寝床に潜り込んでくるだろうが」

 初めは互いの休みが重なった日だけだった行為が、そのうち夜な夜なやってくるようになったのだ。その頻度は、彼が遠征へ出る少し前にがくんと減ったが。  しばしの沈黙のあとにイゾウの口から発せられた言葉は、末っ子の爆弾発言をゆうに凌駕した。

「……見せてやろうか?」

 何を、と聞くには野暮だった。イゾウは先ほどの色香を残したまま艶やかに笑んでいる。口の中がカラカラになるのを感じながら、それでもサッチは無理やり声を出した。

「……何、言ってんだ」 「見てェんだろ?」 「見せるモンじゃねェだろ」 「興味ないか?」

 そういう聞き方は卑怯だと思う。恋人の痴態に興味がない男など、それこそ存在しないだろうに。この男はそれを分かって、言っている。

「過ぎた言葉の礼さ。お代は見てのお帰りだ。興味がなけりゃ、大部屋でもどこでも行けばいい」

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