見張り台の中で、エースは膝を抱えて座っていた。考え事をするには、ジョリーロジャーがはためく一番高いこの場所がうってつけだ。
「セックスがあんなにイイものだったなんて、知るわけねェじゃん」
井の中の蛙、という言葉を知ったのは、この船に乗ってからだ。イゾウの国に伝わる言葉らしい。海は広い。しかし挫折を味わったのは海賊としての経験ではなく、人間としてのそれだ。ここの猛者たちに比べれば自分はまだまだガキなのだと、エースは思い知った。
マルコと深い仲になったのはひょんなことからだった。スペード海賊団時代よりも遥かに長い航海で思うように欲望を発散出来ず、その代わり酒を飲んで誤魔化そうとしていたエースに、マルコが声を掛けた。
『ヌイてやろうかい?』
よくあるクルー同士のふざけ合いだと思っていた。自分の手で処理をするよりは、たとえ男でも他人の手で処理をしてもらったほうがいくらかマシだという程度の認識だった。スペードの仲間とも何度かやったことがある。酔った勢いで「じゃァ頼むわ」と言ってしまったのが運の尽きだった。彼の「ヌイてやる」は、エースの想像をはるかに超えて、凄かった。
「あんなトコにちんこが入るなんて、思わねェもん」
そうだ。おれは悪くない。知識も経験も豊富な狡い大人に、エースは今でも「食われた」と思ってる。たとえそれが自分が挿入する側だったとしてもだ。
若いエースを虜にするなど、あの不死鳥には「朝飯前」だったろう。エースはマルコとする男同士のセックスにすっかりハマってしまった。だがふと思ったのだ。このままでいいのだろうかと。
「こういうのって、好きじゃないとヤっちゃダメなんじゃねェのかな」
小さな疑問はむくむくと膨らみ、とうとう彼の目の前に立ちはだかってしまった。海賊を相手にする商売女を抱くのとはわけが違う。マルコは家族だ。家族とセックスをする。それがどういう意味なのかが、分からなくなった。彼が男だというのは別にどうでもいい。イゾウとサッチだって男同士だが通じ合っている。だが「好き」か「嫌い」かは別だ。彼らはしょっちゅう喧嘩をしているが、仲が悪いわけではない。前に人気のない廊下でディープキスを交わしているのを見た。サッチは気付いていないだろうが、イゾウとはバッチリ目が合った。だが彼は、悪びれもせずサッチの唇を奪いながらエースに向かってウィンクした。だからそういうものなのだとエースは理解している。ではマルコと自分の関係は何なのだろう。マルコはそう言ったことを言及しない。欲が発散出来れば誰でもいいのだろうか。ポーカーフェイスの裏を読み取るには、エースはまだ青い。
マルコとのセックスが癖になりそうだったのは、事実だ。だが一旦離れてみようと思ったのだ。セックスが好きだからマルコといるのか、それ以外の感情があるからマルコといたいのか。
不死鳥と自分の心が、エースは知りたかった。
突然空が暗くなった。雨雲でも来たのかと空を見上げると、そこには青空と同化した翼が広がっている。ばさりと大きな音を立て、不死鳥が静かに舞い降りた、
「……何だよ」
自分の葛藤が見透かされそうで、エースはわざとぶっきらぼうに対応した。
「見回りだよい」
負けず劣らず愛想がない返事だった。空の見回りは、彼にしか出来ない仕事だ。異議を唱える理由はない。
「ハリケーンが来る。そろそろ部屋に戻ったほうがいいよい」
「そっか」
見張り台とは言え、狭いスペースにマルコと二人だ。10日も触れていない。彼の気配が、空気が、エースをおかしくさせる。これ以上いると、妙な気分になってしまいそうだ。立ち上がってマルコに背を向けた。目を合わせようとしないエースに、マルコが珍しく舌打ちをした。
「てめェのことばっかり考えやがって。その間オアズケ食らってるおれのことはどうでもいいってのかい」
「何のことだよ」
「セックスのことに決まってるだろい」
「セックスセックスって。マルコはおっさんなんだから、おれとは盛る頻度が違うだろ?」
「おっさんでも性欲はあるんだよい。じゃなきゃ、おまえのセックスに全部付き合うわけがねェだろい」
「だから、マルコがヤりたくなった時だけでいいって」
「それが毎日だったらどうするよい」
「おっさんがそんなにサカるわけねェだろ」
会話は平行線のままだ。むしろねじれの関係で一生交わることはない。
「おまえがそこまで言うなら仕方ないねい。……サッチとでも寝るか」
何かがパァンと、エースの心を打ち抜いた気がした。
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